岡本太郎──明るいペシミスト(2)
カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2011年02月19日 18:33
更新: 2011年02月19日 19:00
ソース: intoxicate vol.90 (2011年2月20日発行)
text:南博(ジャズピアニスト)
僕は岡本太郎氏のことを、「明るいペシミスト」だと捉えている。このように、氏のことを一括りで言い表す ことが危険であることは百も承知だ。だが、やはり氏の言葉は、明るいペシミズムに向かい、ダントツに突き抜けている。まず、僕が暗くふさぎ込んでいた時期 に救われた言葉。
「人生は意義ある悲劇です。それで美しいのです。生甲斐があるのです」
この一言で、大方の心療内科は存在意義を失うのではないか──。
自分より上手いピアニストの演奏を聴いて、暗澹とした気分となった時に救われた言葉。
「私はすでにピカソをのりこえている」
岡本太郎氏は、「私はすでにピカソを超えている」とは言っていない。「のりこえた」と言っているのだ。そ うだ、その通りじゃないか。超すのではなく、「のりこえる」と考えを変えれば、それに対し作戦も練られるというものだ。「のりこえる」アイデアを模索すれ ばいいではないか──。
仕事もなく、金もなく、どうしようもない時に救われた言葉。
「どうして芸術なんかやるのか──。創らなければ、世界はあまりにも退屈だから創るのだ」
そうだ、その通りだ。ピアノを弾いてなきゃ、単純に考えても退屈じゃないか──。
作曲に行き詰まり、書ける時には書けるのに、どうして今曲が書けないのかと思い悩んだ時に救われた言葉。
「ひとりでにどんどん進んでできてしまったものの方が、いつでもいい」
これはジャズのアドリブにも言えることだ。箴言である──。
ミュージシャンなんてやってたって埒が明かないと思い悩んだ時に救われた言葉。
「無意味こそかえって先鋭な社会意識であることを知らねばならない」
この言葉に触れた時にはぶっ飛んだ。この言葉で、自分自身を笑い飛ばすこともできた。痛快とはこのことだ──。
演奏することによって、何の意味があるのかとふと思った時に救われた言葉。
「理由がないと思えるほど意外に出現するもの、それが芸術だ」
この言葉を読んだ瞬間、頭の中が空になり、理由がないと思えるほど意外にピアノを弾くことに決めた──。
東京でジャズをやっていても埒が明かないんじゃないか。いっそのこと、もう一度NYか、ヨーロッパのどこかの国に飛び出してやろうかと、早計な判断をしそうになった時に救われた言葉。
「芸術のあるところ、そこが世界のセンターであり、宇宙の中心である。それは東京でもいいし、秋田でも、北京でも、リオデジャネイロでも構わない。」
おっしゃる通りだと思い、東京で頑張ることに決めた──。
自分の作品にケチをつけられた時に救われた言葉。
「専門家こそ何も知らないのだ。絵のエキスパートと思っているやつほど、芸術の運命を見あやまっているのに」
言い得て妙。これは自分に対する警句でもあると思った──。
ミュージシャンをやっていて、この先老いぼれて、どうなってしまうんだろうと、自分の将来が心底不安になった時に救われた言葉。
「面白いねえ、実に、オレの人生は。だって道がないんだ」
これだけの気概がなければ、そもそも音楽なんてやってはいけないのだと自分を戒めた──。
(「岡本太郎 歓喜」二玄社より)
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