こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

複数形のジャズ史(3)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年02月14日 13:20

更新: 2011年02月14日 18:09

ソース: intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)

text:大谷能生(批評家・音楽家)

ここで聴くことの出来る二つのジャズ、「モダンジャズのハードコア」と「ナイトクラブのエンタテインメント」は、しかし、互いに排除しあうものではなく、プレイヤーは実際にそのどちらの現場にも顔を出していたし、そもそもそのどちらもが植民地経営による資本の蓄積と蕩尽にその基盤を置いて生まれたものである。この沃野に戦前からの近代的芸能とヨーロッパ的教養が加わり、さらに、反共防衛ラインとしての政治的緊張関係(を保つためのお金)がプラスされて、日本の戦後芸能界はとにかく一筋縄ではいかない複数形の歴史を織り成しているのだった。ともあれ、1961年のジャズ・メッセンジャーズ来日によるファンキー・ブームや、同年、新宿に本格的に「モダン・ジャズ」を聴かせるジャズ喫茶である「DIG」が開店するなどなど、このあたりから、また「ナイトクラブ」とは異なった舞台で編まれてゆく音楽史の流れが、ぼくたちの耳にも聴こえるようになってくるのである。

ちなみに、ニューラテンクォーターを舞台にした力道山の刺殺事件も1963年。「ニューラテンクォーター」と「銀巴里セッション」、そしてそこから、さらにいかがわしい場所だった朝鮮戦争直後の旧「ラテンクォーター」時代の店内とその音楽に耳をのばし、放火とも疑われるその焼失(1956年)時に店に入っていたバンドは、守安祥太郎によるアレンジを宝刀にしていた原信夫のシャープ&フラッツと、高柳昌行クインテットであったということ。また、その火災と同年に「モカンボ・セッション」が行われており、火災といえばその26年後の1982(昭和57)年、ニューラテンクォーターの地上部に建つホテル・ニュージャパンの大惨事があったこと、そして、そもそもその場所は、1936(昭和11)年の二・二六事件時に叛乱兵が立て籠った料理屋だったことなどなど、さらにここから戦前・戦後の昭和を綾なすさまざまな事件が立ち上がってくる。それらの場所に響いていた、すべての音と音楽を聴いてみたい。


寄稿者プロフィール
大谷能生(おおたに・よしお)

1972年生まれ。批評家、音楽家。菊地成孔との共著である『憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』、『東京大学のアルバート・アイラー 歴史編』『同 キーワード編』、『M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究』、『アフロ・ディズニー』、『アフロ・ディズニー2 MJ没後の世界』のほか、単独批評集である『貧しい音楽』など、著作多数。音楽家としては2006年にソロアルバム『「河岸忘日抄」より』を発表。simやmasをはじめとした多くのグループにも参加する。

記事ナビ

インタビュー