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文楽(2)

文楽と歌舞伎

浄瑠璃にはさまざまな流派があります。それぞれに独特な抑揚や声色を使って物語る。一中節とか富本節とか常磐津節とか清元節とか新内節とか。そこに人形を伴えば、何でもいちおう人形浄瑠璃にはなりましょう。

けれど、数ある浄瑠璃の中でも人形と特に結び付いて歴史を築いたのは義太夫節。17世紀末、竹本義太夫という人が、それまでの各種浄瑠璃、琵琶法師の芸、能の謡、坊さんの説法の調子などなど、日本の芸能を集大成したつもりで始めた表情濃密な浄瑠璃です。

1686年、義太夫は大坂で、近松門左衛門の『出世景清』を操り人形を付けて上演しました。この年を人形浄瑠璃元年とよく呼びます。ちなみに浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介に刃傷に及ぶのは、それから15年後のことでした。

ともかく、太夫の物語る芸に聞き入りつつ、補助的に人形の動きを楽しむ。太夫が主役で人形は脇役。そういう芸能として人形浄瑠璃は広まりました。しかし、人形のデザインや動きも次第に工夫されてゆく。人形のための舞台作りも本格的になってくる。人間は欲深なもの。人形たちが太夫の声を離れ、それぞれ勝手に喋ったら? 人形を生身に変えたら? こうして歌舞伎劇が発達するのです。

出雲の阿国が歌舞伎を始めたのは、人形浄瑠璃の誕生とそう違わない、関ヶ原の合戦の頃。でも、初期の歌舞伎は踊りや寸劇みたいなものが中心でした。歌舞伎は人形浄瑠璃の真似をし、出し物を引き写し、人形を生身に取り換え、太夫の代わりに役者を主役することで、演劇として深まりました。

ところで、人形浄瑠璃のことをなぜ文楽と呼ぶのでしょう? 1810年頃、植村文楽軒という人が大坂で人形浄瑠璃の興行を始め、その跡を継いだ養子の植村文楽翁が大坂の人形浄瑠璃の世界の大立者になってゆき、明治に入ってから文楽座なる劇場を建てました。人形浄瑠璃のメッカは文楽座。それを観ることは文楽座に行くこと。明治のうちに「人形浄瑠璃=文楽」になってしまったのです。

『仮名手本忠臣蔵』とは何か?

『仮名手本忠臣蔵』は『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』とともに文楽の三大名作と呼ばれます。初演は1748年。討ち入りから46年後です。その間、赤穂浪士に取材した文楽や歌舞伎はいろいろありました。『仮名手本忠臣蔵』はその集大成として生み出されたものです。文楽として初演された同じ年のうちに、歌舞伎にも移されました。

するとそれはどんな芝居なのか。江戸幕府を憚って赤穂浪士の物語を『太平記』の世界に置き換える。吉良上野介は高師直に、浅野内匠頭は塩冶判官に、大石内蔵助は大星由良之助に名を変える。そういう設定のもと、事件を緻密に再現する大歴史ドラマが展開されるのでしょうか。違います。スパイ物やチャンバラ活劇でもありません。ズバリ申せば、何だかんだ理由をつけて、登場人物の心底をひたすら問う芝居なのです。全十一段(何段というのはオペラやミュージカルの何幕というのと同じと思ってください)、正味10時間以上にわたって、心底一筋なのです。

まず三段目まで。師直が判官の妻を誘惑。判官の妻に不倫する気があるか、心底に興味が集まるけれど、彼女の答えは否。気を悪くした師直は判官をいじめ、判官は怒って刃傷に及びます。

四段目。判官は罪を問われて切腹。師直は咎めなし。死に際の判官の心底が問題になります。仇討ちを求めるか、求めないか。由良之助が切腹の場に駆けつけ、判官の心底を見定めます。答えは仇討ちせよ!

五段目と六段目。判官の側近なのに忠義心を疑われた早野勘平が主人公。彼の心底は忠義一筋で仇討ちにも加わりたいのだが、それを証明できず、無念の切腹。それでやっと仲間に心底を分かってもらえます。

七段目。勘平同様、仇討ちに加わりたいが、周囲から心底を疑われた寺岡平右衛門が登場。彼は由良之助に妹の命を差し出そうとし、やっと心底を理解されます。

八段目と九段目。判官が師直に斬りつけるのを邪魔した、加古川本蔵とその一家が登場。本蔵がそのことを後悔してるかどうか、心底が問われます。彼は後悔していると切腹。それで由良之助に心底を理解され、仲直りします。

十段目。由良之助を助ける商人が本当に味方なのかと、心底を問われますが、やっぱり裏表なき奴と分かり、ほめられます。
十一段目。ついに仇討ち。主君の菩提寺で一同焼香。めでたしめでたし。

このように『仮名手本忠臣蔵』は、仇討ち物語にかこつけ、人間の本心を極限的に問いつめるエピソードを、これでもかと並べ、ようやくの大団円にたどり着くのです。

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2011年01月05日 11:43

更新: 2011年01月06日 12:54

ソース: intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)

text:片山杜秀

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