こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

ゆらゆら帝国

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2011年01月05日 18:00

ソース: bounce 328号 (2010年12月25日発行)

文/岡村詩野

 

そして、ゆらゆら帝国は伝説となった。それは、2010年3月31日。誰もがもう2度とライヴを観られないことを無念に思い、誰もが彼らの新作が永遠に届けられなくなったことを嘆いた日。そう、自身のウェブサイト上で突然発表された〈解散〉。〈「空洞です」の先にあるものを見つけられなかったということに尽きると思います。ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました〉(原文ママ)——だが不思議なことに、リスナーのほとんどがそこに疑問を持つことはなかった。むしろこれまでの軌跡は讃えられ、メンバーへの感謝の言葉が途絶えることはなかった。卒業していく者を清々しく送り出すかのように、〈ハレルヤ!〉と。

しかし、ゆらゆら帝国が誕生した時、20年後はこのような存在になると誰が想像しただろうか。筆者はたまたま結成当初の彼らのライヴを観ているが、まだドロリとしたアンダーグラウンド色の強いサイケデリックな演奏に強く惹き込まれつつも、ぼんやりとした表情でマイクに向かうヴォーカルの男は、異端・異形という言葉しか相応しくないような風情だったし、60年代のディープなサイケ・ロックやアート・ロックの影響は感じられても、ブラジル音楽やクラブ・ミュージックなど、その後このバンドを大きく飛躍させる音楽性の裾野の広さはまだそれほど窺えなかったからだ。だが、その片鱗は確かにあった。ぼんやりとした表情のなかから時折覗かせた坂本慎太郎の眼光の鋭さは、音楽シーンがバンド・ブームだの渋谷系だのと浮かれているなかで、獲物を虎視眈々と狙う狼のようだった。

 

生のロック・バンドにこだわる

ゆらゆら帝国が誕生したのは89年のこと。多摩美術大学在学中の坂本慎太郎(ヴォーカル/ギター)が大学の仲間などを誘って結成した。当初は4人編成だったが、ファースト・アルバム『ゆらゆら帝国』(92年)の発表後、ほどなくしてトリオとなる。当初、いかにも中央線沿線風のアングラっぽさがバンドのイメージだったが、あくまでドメスティックな匂いや風合いを大切にしたようなその〈日本語のロック〉は、坂本以外のメンバー・チェンジが繰り返され、『ゆらゆら帝国 II』(94年)、『LIVE』(95年)、『Are You ra?』(96年)と作品を重ねるなかで徐々に洗練されていくこととなり、CAPTAIN TRIPからミディへと移籍して『3×3×3』(98年)が届けられる頃には、彼らの主戦場がもはや高円寺や吉祥寺に収まることはなくなっていた。また、すでに坂本以外のメンバーも、比較的初期から参加していた亀川千代(ベース)、かかしやマリア観音にも関わっていた柴田一郎(ドラムス)に固定され、ライヴ・バンドとしてもさらにパワーアップ。〈フジロック〉や〈RISING SUN〉などの野外フェスには欠かせない重要バンドとなっていく。小山田圭吾が『3×3×3』を絶賛したことも手伝ってライヴの動員も急増、90年代後半以降のゆらゆら帝国はシーン最前線の一角を確実に担う存在となるのだった。

 

 

90年代は、例えばそのコーネリアスやフィッシュマンズ、海外でもベックやビースティ・ボーイズといった、優れた編集感覚と柔軟性を持つアーティストが可能性を切り拓いていた。彼らが細分化の進んだ混迷の90年代を開拓し、2000年代の扉をこじ開けたからこそ、その後のシーンはまた新たな主役を迎えることができたと言っても過言ではないだろう。しかし、それらのアーティストと平行して水面下で活動を展開していたゆらゆら帝国は、そうした時代の空気と付かず離れずの関係を保っていた。多くのロック・バンドがサンプラーやターンテーブルを積極的にステージに持ち込んでも、ゆらゆら帝国は頑なにヴォーカル&ギター、ベース、ドラムスというシンプルな3ピース編成で舞台に上がり(もっともライヴPAにはこだわっていた)、低音を前に出す重心の低い音作りが好まれるような傾向のなかでも、彼らの作品は決まってスカスカな状態が貫かれていた。以前、筆者が坂本に取材をした際(『ゆらゆら帝国 III』のリリース時)、彼がゆらゆら帝国のサウンド・プロダクションに対してこう話してくれたのがいまも印象に残っている。

「あまり低音をズッシリと出すのは好きじゃないんです。外側がサクサクしていて、内側がドロリ、みたいなのがちょうどいい」。

ゆらゆら帝国に、金属的なギター音を軸にした比較的スカスカした作りの曲が多いのも、つまりは〈外側サクサク、内側ドロリ〉の感触を意識してのことだろうが、くるりやナンバーガール~ZAZEN BOYSといったいわゆる〈97年組〉が2000年代以降に大きく飛躍したのも、あるいはBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONのようなギター・バンドが登場して国民的人気を獲得したのも、ゆらゆら帝国がそうした音指向を作品でもステージでも徹底させていたこととは無関係ではない。平たく言ってしまえば、ゆらゆら帝国は〈もはやロックに新たな可能性などない〉とされていた90年代でも、小細工に走ることなく生のロック・バンドでありながら新たな道を探ることを黙って実践していたのだ。それはいまでも鮮やかに思い出されるほどクールなスタンスであり、多くの若いバンドたちを励ましたことは想像に難くない。『ミーのカー』(99年)、『ゆらゆら帝国 III』(2001年)といった作品は、そうしたスカスカで、でも圧倒的にエッジーな生のギター・バンド・サウンドへの徹底的なこだわりを結晶化させた力作だ。

 

 

自分の、他人の受け皿になるな

しかしながら、そんなゆらゆら帝国も2000年代以降はレコーディング作品において新たな試みを大胆に採り入れるようになっていく。2003年、2枚同時にリリースされた『ゆらゆら帝国のしびれ』『ゆらゆら帝国のめまい』は、前者は基本これまでの流れに従ったバンド・サウンド、後者はバンドというフォーマットにこだわらない作り方というように分け、もはやクリエイティヴィティーが一枚の作品に収まらないことを提示。一方、『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』(2003年)はライヴ・アルバムとは言ってもかなり強くコンプレッサーをかけて音像を加工した一枚……と、ライヴもレコーディングも満身創痍で新たな可能性を常に探り出している彼らの挑戦が目に見えて伝わってくるようになるのだった。

とりわけ音質と、音の広がりや立体感を抽出することへのあくなきこだわりは『Sweet Spot』(2005年)でひとつの完成形を見ることに。レコーディング現場にはスタッフでさえも入室させないというような逸話は、プレッシャーがかかっていたであろう彼らの集中力の凄まじさを物語っていた。その一方で、石原洋(プロデューサー)と中村宗一郎(エンジニア)という長く彼らの作品を支えてきた制作チームと一体となってバンドが進化していることをしっかり作品で証明するなど、圧倒的な磁力を持つアルバムではあったが、基本的にバンドのあり方は何も変わっていないこと、いまもなお地に足をつけた音作りをしていることを伝えてもくれた。サイケやアシッド・フォーク、ブラジル音楽のような参照点だけではなく、バブルガム・ポップ、ガールズ・ポップへの愛着をも感じさせる坂本慎太郎のソングライティング・センスが30代を越えてからさらに磨かれていることに気付いていたリスナーも多かったことだろう。

 

 

そうして、そこから2年後に届いた『空洞です』(2007年)。結果として最後のオリジナル・アルバムとなったこの作品で、彼らはもうこれ以上どこにも進めないくらいの最高地点に到達してしまう。いまこの時点で最高に格好良く先鋭的なロック・ミュージックをやるならこれしかない、というようなピンポイントを突いた一枚ながら、そこに絶対的な真理などはなく、その内側は不思議なほど空洞。まさしく〈空洞です〉。そこにぽっかりと開いた穴をこれからどのようにして埋めていくのか。そんな疑問の答えを、聴き手それぞれが深い闇のなかで探るような聴後感を残すこのアルバムは、最終的にゆらゆら帝国の異論なき代表作として歴史に刻まれることとなる。数々の伝説を残してきライヴも2009年暮れを最後に行なわれることもなく、2010年に入ると同時に彼らは沈黙。そして、3月31日の解散発表……。

だが、最初にも書いたように、誰しもがゆらゆら帝国の終焉に拍手を送った。嘆く者、後悔する者は多かっただろう。特に、クラブ・ミュージックに造詣の深い柴田一郎のドラミングは、2000年代以降のゆらゆら帝国のバンド・サウンドのなかでも特筆に値する変化で、彼らが大きく進化していくうえで欠かせない要素だった。それだけに、いま一度ライヴを観たい、最後にもう一度やってもらえないか、と願うファンの声がいまなお消えることがないのも当然だろう。しかしながら、このバンドとしてこれ以上先に進む可能性を見い出せずに終止符を打つことを選んだ坂本慎太郎に迷いはなかったのではないかと思う。なぜなら、空洞の中に何を入れてももはやそれは〈受け皿〉にしかならないことを坂本は知っていたからだ。彼はロックンロールを作り手やリスナーの感情の受け皿とするような価値観など最初から持っていなかった。だが、自分たちの音楽が図らずもそうならんとした時、坂本はピリオドを打つことを選んだということなのだろう。

自分の、他人の受け皿などになるな。それこそがゆらゆら帝国の哲学だった。そして、その哲学を受け継ぐ者は、まだここ日本にはいない。

 

▼ゆらゆら帝国の作品を紹介。

左から、95年のライヴ盤『LIVE』(CAPTAIN TRIP)、2003年のライヴ盤『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』、ベスト盤『1998-2004』(共にミディ)、2006年のシングル“つぎの夜へ”、2007年のシングル“美しい”(共にソニー)

 

▼関連盤を紹介。

ゆらゆら帝国が参加した2005年のコンピ『A Fine Time 2 ~A Tribute to New Wave』(ユニバーサル)

インタビュー