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特集

TAKE THAT

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2010年12月01日 17:59

ソース: bounce 327号 (2010年11月25日発行)

文/妹沢奈美

 

テイク・ザットの再結成の成功は、英国ポップ・シーンにおける2000年代最大の事件だった。2005年の末に再結成を表明した後、発売と共に売り切れた翌年のツアーは当然ながらパーフェクトに古いファンを満足させた。しかもその後、ゲイリー・バーロウ、マーク・オーウェン、ハワード・ドナルド、そしてジェイソン・オレンジという4人編成で出すシングルやアルバムは、恐ろしいほど軒並み1位を獲得。そして来年にはふたたび、史上最大級のツアーを控えている。また、解散前に脱退していたロビー・ウィリアムスを加えたデビュー時の5人編成で作られ、11月に発表される再結成後の3作目(通算6作目)の『Progress』は、大スーパースターの復帰という話題性もあって、全英1位は確実視されている。このアルバムでは、プロデューサーにスチュアート・プライスを起用。この〈マドンナの秘蔵っ子〉の視点が加わることで、音楽的なおもしろさがさらに加味されることは想像に難くない。しかも彼は今年に入ってからも、カイリー・ミノーグ、シザー・シスターズ、キラーズのブランドン・フラワーズらの作品を手掛けてきた、2010年のポップ・シーンにおける最重要プロデューサー。そんなスチュアートに依頼できる立場、というのも現在のテイク・ザットの足元の盤石さを象徴する。

テイク・ザット再結成の成功がいかに音楽業界的にも衝撃的だったかを理解するには、それを受けて、2006~07年にはボーイズ&ガールズ・グループの再結成が相次いだことを思い出すのが早い。これは、誰が見ても〈再結成ビジネス〉にチャンスが転がっていると思えたからだろう。しかし、再結成したもののレコード契約すら取れなかったファイヴを筆頭に、ボーイゾーンもスパイス・ガールズもオール・セインツも、それぞれ話題にはなったがチャート的には惨敗。 2008年に再結成したUSのニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックでさえ、アルバムが全米2位にこそなったものの英国では16位。以上のことからも、テイク・ザットの再結成後の成功がいかに破格であるかが、わかる。

なぜ彼らだけは、再結成に成功したのか。複合的な要素が絡まっているのは間違いないが、そんな話でお茶を濁すつもりはない。一言で行こう。テイク・ザットのエンターテイメントが一貫して、ビジネス的な部分を超えて、ソウルとなりアートとなり、人々の心をダイレクトに揺さぶるものだったからだ。ゆえに、誰もが彼らの表現の真摯さと鋭さを信用することができた。ファンは単なる〈流行〉とはまた別の場所にあるものとして、忠実にこのグループを愛し続けた。しかも、しばしばBBCなどのメディアから〈ビートルズ以来、もっとも成功したバンド〉という、かの国における最大級の形容フレーズで語られていた現役時代も、それぞれの立場で苦労を重ねた解散後のソロ期も、そして華々しい成功を収めている再結成後も、この5人はエンターテイメントの基本的な部分を忘れることがなかった。それは何かといえば、エンターテイメントとは〈人間が生みだし、人間へと届けるもの〉だというシンプルな構造だ。ビジネスは、あくまで付随するものだった。

 

 

成功の裏にあった苦闘

その部分について掘り進む前に、現役時の彼らの足跡を簡単に振り返っておこう。90年に結成して91年にデビューしたマンチェスター出身のこの5人組は、ことに初の全英1位曲“Pray”を発表した93年から96年の解散まで、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで英国のチャートもメディア露出も総なめにした。当然、男性のいわゆる〈音楽マニア〉からは白眼視されることもあったが、実は彼らの2作目『Everything Changes』は、94年のマーキュリー賞にノミネートされている。ブラーの『Parklife』やポール・ウェラーの『Wild Wood』と肩を並べて、だ(受賞はMピープルの『Elegant Slumming』)。また、メイン・ソングライターだったゲイリー・バーロウは優れた英国のソングライターに与えられるアイヴァー・ノヴェロ賞を5度も受賞している。

つまり、知れば知るほど〈歌って踊れるボーイズ・バンド〉的な先入観を、いまも昔もテイク・ザットは軽く打破してくれる……わけだが、そこにすべての理由を求めるのはあまりに小さな話すぎるだろう。なにしろこの5人、90年代前半の現役時代には約2,500万枚を売り上げ、老若男女(辛口の評論家でさえも!)を夢中にした、押しも押されぬ英国のトップ・スターなのだ。誰もの琴線を揺さぶるバラードにコーラス・ワーク、ニヤリとしてしまうほどチージーなダンス・トラックに完璧なパフォーマンス、にもかかわらず致命的に踊れないフロントマンのゲイリー・バーロウがいたり、英国が誇る〈末っ子〉として(憧れられるのではなく)ひたすら愛されたロビー・ウィリアムスがいたり――つまり、隠すことなく存在していたさまざまにチャーミングな矛盾こそが、このグループの魅力を完璧にしていた。しかも、よく見てほしい。そもそもこのグループに典型的なイケメンは、残念なことにハワード・ドナルドしかいないではないか?

では、彼らがエンターテイメントの基本を忘れることなくトップに君臨できた理由とは何か。それはひとえに、90年の結成から93年にようやく“Pray”(この曲もゲイリーが書いている)で全英1位を獲得するまで、このグループがさまざまに苦労を重ねながら歩みを進めてきたことにある。一歩ずつ、ゆっくりと、丁寧に。

 

 

もともとゲイリーは、15歳だった87年にBBC主催のコンテストに出場して準優勝、そこからクラブなどで歌いはじめ、18歳のときにカーティス・ラッ シュ名義でデビュー。この時は泣かず飛ばずだったが、グループの敏腕マネージャーとなるナイジェル・マーティン・スミスと出会い、共に〈ニュー・キッズ・ オン・ザ・ブロックへのUKからの返答〉となるべきメンバーたちをオーディションで決めていく。その際に出会ったマーク・オーウェンは当時、銀行で働いて いた。最年少のロビー・ウィリアムスは16歳で加入。ジェイソン・オレンジは地元マンチェスターのブレイクダンス・チームで活動しており、ハワード・ドナ ルドもダンサー出身。つまり、曲が作れて歌唱力もあるゲイリー、背が低いがチャーミングな優しさを醸し出すマーク、イタズラな末っ子のようにジョークを繰 り出す存在のロビー、そしてダンサーとしてのバックボーンを持ち、共にセクシーなジェイソンとハワード、というバラバラの個性を集めて、〈テイク・ザッ ト〉にしたわけだ。

しかし、そこから先は決して順調ではなかった。マンチェスターを基盤にし、まずはゲイ・クラブをドサ回りのように巡りつつ地を這うような活動を続けていく。91年にデビュー曲“Do What U Like”を発表するが、全英82位。続く“Promises”が38位、翌年の“Once You've Tasted Love”が47位。最初からブレイクを狙ってビジネス的な下心により作られたグループだったら、この時点でレコード会社やマネジメントから解散を勧められているだろう。だがこの5人はそもそも、〈英国でもボーイズ・グループによるポップ・ミュージックは可能なのではないか〉という意識のもとに集まったグループだった。しかもいまになって考えると、90年代初頭といえば世界がより複雑な方向へ向かっていた時期。つまり英国はサッチャー政権が行き詰まりを迎え、冷戦構造が終結したものの、イラクのクウェート侵攻を機にアメリカを中心にした多国籍軍がイラクを攻撃して湾岸戦争が始まった。そこに、ポップ・ミュージックの可能性を問いかけるようにテイク・ザットが登場したこと、少しずつ人気を得ながら頂点にまで昇ったことは、明るい光を求める時代の無意識の要請だったようにも思える。

 

 

時を超えたエンターテイメント

ソロとして大成功した後にロビー・ウィリアムスは、自伝でテイク・ザット初期のゲイ・クラブ巡りの時代を語っていた。いわく、そこにいた人々は何の偏見もなく僕らを受け容れてくれた、と。彼がそれを大切な思い出として胸に抱き続けているのは、他ならぬ、その時代の彼らはデビュー曲“Do What U Like”のPVの〈ゲイっぽさ〉などを理由に幅広い支持が得られず、この世界がいかに偏見や先入観で出来上がっているかを肌身で体験していたからだ。その経験も、彼らのエンターテイメントが誰も何も否定することなく、幅広くオープンなものであり続けた一因だろう。また、成功後にリリースしたシングル“Never Forget”でも、〈自分たちがどこから来たかは決して忘れない、ずいぶん遠いところまできたけれど〉と起点への視線が歌われている。心で作ったものを、心へ届ける――その一貫した姿勢は、バリー・マニロウやジョナサン・キング、ビー・ジーズなどのカヴァーをする際にも自分たちの表情とソウルが見えるヴァージョンへ昇華している様子からも窺えるだろう。

92年末に発表したバリー・マニロウのカヴァー“Could It Be Magic”が3位、93年2月の“Why Can't I Wake Up With You”(ゲイリー作)が2位になった勢いと共に、テイク・ザットは先述の“Pray”で全英1位に躍り出る。そこから先は、解散まで快進撃だ。同年10月に発表したセカンド・アルバム『Everything Changes』(全英1位)もゲイリーの作った曲でほとんどが占められ、彼のソングライターとしての資質も高く評価されはじめる。同時にグループにのしかかるプレッシャーも大きくなり、メンバーたちはそれぞれがストレスを抱えるようになっていった。95年の〈グラストンベリー〉では酔ったロビーがオアシスに招かれてステージに飛び入りしたことが大きなニュースとなり、それも契機となって7月にはグループから突然脱退(クビ状態だったようだ)。しかし4人になってからの活動は、歯車が違う動きを始めたのだろう。翌96年の2月13日、メンバーは記者会見でテイク・ザットの解散を発表した。

 

 

解散後に個々の活動を経たこと、それぞれのソロがさまざまに問題を抱えたこと(ロビーも大成功の裏では人間不信やドラッグ癖などに苦しんでいた)が、結果的に再結成後の彼らの音楽をより幅広いものにしたあたりも興味深い。ソロ・デビュー作のプロデューサーにジョン・レッキーを迎えたほどギター・ロック資質を持つマーク、DJとして活動をしていたハワード、サーフ・ミュージック的なボヘミアン傾向を持つジェイソン。それぞれの個性が、ゲイリー・バーロウ一辺倒だった往時に比べると、より楽曲に反映されるようになった。

そのあたりも影響してか、彼らの現在のライヴに足を運ぶと、90年代当時の姿を知らない若い世代が熱狂している姿が見られる。男性ファンも多い。ネットのアーカイヴ経由で、かつての彼らの活躍に簡単にアクセスできる時代になったことも、関係しているのかもしれない。だが何よりも、彼らのエンターテイメントの魅力が、あらゆる時代において有効な、人々を惹きつける要素を内包しているからだろう。中年になった5人に〈ボーイズ・グループ〉という区分はもはや、無粋でもある。

 

▼テイク・ザットの作品を紹介。

左から、解散直後に出されたベスト盤『Greatest Hits』(RCA)、2009年のライヴ盤『The Greatest Day -The Circus Live』(Polydor)

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