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特集

三輪眞弘 インタヴュー(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年11月28日 19:15

更新: 2010年11月29日 22:12

ソース: intoxicate vol.88 (2010年10月10日発行)

Interview&text:畠中実(ICC)

三輪眞弘は、アルゴリズミック・コンポジションと呼ばれる、コンピュータを用いた作曲の可能性を探求している作曲家である。また、現代のテクノロジーを援用して作曲を行なう三輪は、しかし、前述したような〈メディアを介して聴かれる音楽〉ではなく、「人間によって演奏され、その場で聴かれる音楽」を制作する作曲家でもある。先頃上梓された三輪の著書『三輪眞弘音楽藝術 全思考1998—2010』(アルテスパブリッシング)に一貫して主張されていることも、「メディアを介した音楽」の趨勢の中で、現在、本来そうであった「人間によって演奏され、その場で聴かれる音楽」という表現がどのようにして可能であるのかという問題である。

「この10年以上前から基本的に繰り返しわき起こる疑問というのは、そもそも僕が音楽を志すきっかけになったレコードや放送による音楽体験が、はたして〈音楽〉だったのかどうかという根源的な疑問にまで行き着いてしまうということなんです」

それは「音楽とは何か?」という根源的な問いと重なり、〈音楽〉と呼び得なかったはずのものをどのように規定し、本来の〈音楽〉からどう区別していくのかを思考することへとつながる。そして、それは必然的に、メディア論へと発展していった。三輪は、この「録音したものを再生することによって聴かれる作品」を〈音楽〉ではないとする考えから、それを〈録楽〉と名付けることで、複製技術を基盤とした〈装置による表現〉そして、芸術ならざるものとしての〈メディア・アート〉へと接続することでさらに思考を展開しようとする。
「はっきりしていることは、永い音楽の歴史の中で、いま音楽で起きていることは現代音楽やポピュラー音楽も含めて、音楽史や音楽の知識ではまったく説明できないんです。それにはまったく違うカテゴリーの知識や思考が必要になる、という意味では、これ以上先はメディア・アートやテクノロジーを問題にしないと、それが何なのかということへの答えは出ないだろうということなんです」

12年という年月の間に書かれ、纏められたテキストは、そのまま三輪自身がそうした状況への対し方を模索するプロセスでもあった。その間には三輪の作風にも変化がみられる。しかし、実際にそれぞれのテキストにくりかえし登場する問題意識は、三輪が一貫して同じ問題をさまざまな個々の作品という側面から思考し続けていることのあらわれだろう。

「たとえば、最初に出てくる98年の《言葉の影、またはアレルヤ—Aのテクストによる》や2000年に作ったモノローグ・オペラ《新しい時代》などのテクノロジーを意識した作品を発表した後、そこから急に《またりさま》(2002)を作って、人力アンサンブルを始めたりしました。それは、僕にとっては非常に必然的で、作品の見かけは全然変わってしまっているけれど、次はこうなるしかないだろうという転機だったわけです。だけど、考えていることは基本的にまったく変わっていない」

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