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特集

JAMIROQUAI

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2010年11月19日 19:23

更新: 2010年11月19日 19:32

ソース: bounce 326号 (2010年10月25日発行)

文/出嶌孝次

 

 

「生き返った気分さ、音楽面でもビジネス面でもね。そろそろ新しいスタートを踏み出したかったところなんだ。もしこのアルバムをいま出さなきゃ、俺たちは忘れられちまうだろう。〈ああ、あんな奴らもいたっけな〉ってね」。

ジェイ・ケイはそう語る。しかし、忘れてしまうことができるのだろうか? 確かに昨今の移り気なリスナーを相手にするのなら長いブランクは決して好ましいものではないだろう。久々に全英チャートを登頂し損ねた前作『Dynamite』(2005年)からは5年が経っている。チャートの首位を取り戻したベスト盤『High Times: Singles 1992–2006』のリリースも4年前の華やかな思い出だ。40歳を超えたジェイとバンドは、彼らの絶頂期を知らない世代の前に姿を現さなければならない。

それでも、彼らが忘れられることはないだろう。多少のブランクなど問題にしないほどのものを彼らは残してきたし、ひとたび耳にしさえすれば出会い頭の衝撃を与えてくれるような楽曲のキャッチーな魔法は、聴き手の世代や聴かれるべき時代を選ぶものではない。しかも、彼らはリフレッシュして帰ってきたのである。長年在籍したレーベルを離れ、ジェイ・ケイが〈このアルバム〉と言うところの『Rock Dust Light Star』を携えて。新しい魔法を届けるためにジャミロクワイが帰ってきた。

 

率直すぎるメッセージ

あらゆる世界的なブランドには相応のロゴが用意されているものだ。例えその名前が読めなくても、正確にスペリングできなかったとしても、あなたはそれを認識することができるだろう。音楽の魅力は大きな前提としても、ジャミロクワイが世間に届いた秘訣はまずそこにあった。ツノのようなものが生えた人のような影、子供なのか大人なのかも、肌の色も性別も、人間なのかどうかも定かではない〈メディシンマン〉のシルエットがロゴマークとして誕生した時から、ジャミロクワイは成功へと向かってまっすぐに進みはじめたのだ。ジェイ・ケイによれば、そのロゴは自身の影を見て思いついたのだという。

ジェイ・ケイことジェイソン・ケイは69年、イングランドはグレーター・マンチェスターのストレットフォードで双子の弟として生まれている。母親はキャバレーなどでジャズを歌っていたシンガーのカレン・ケイ。ギタリストだという実父とは生き別れたものの、ミュージカルやTV番組に出演していた母と継父に連れられて各地を周り、音楽に囲まれて育った。デヴィッドと名付けられた双子の兄は生後半年で亡くなったそうだが、ジェイは後に〈自分に二面性があるのは、物静かだったデヴィッドとワイルドな俺と、二人分の人生を送っているから〉と説明している。この自説がいささか勝手なものだとしても、別のキャラクターを一人歩きさせることで自分の一面を守るという考えは、デビュー当初からジェイのなかにあったものなのだろう。

母の影響でマイルス・デイヴィスやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、ギル・スコット・ヘロンらの音楽に子供の頃から親しんでいた彼は、長じてポップスターを志すようになり、80年代末には西ロンドンを根城に貧乏暮らしを送っていた。時はアシッド・ジャズの勃興期。ムーヴメントの熱がダンスフロアをはみ出してレコード・ビジネスの領域へと流れ込んでいた時代だ。ブランニュー・ヘヴィーズのシンガー・オーディションに落選したジェイは自身のバンド結成を決意する。自然と共生するネイティヴ・アメリカンのイロコイ族を、音楽的な意味の〈ジャム〉と組み合わせた造語=ジャミロクワイがバンド名となった。

そのブランニュー・ヘヴィーズらを擁するアシッド・ジャズ・レコーズから、ディジュリドゥがイントロを飾るデビュー・シングル“When You Gonna Learn”が発表されたのは92年10月のことだ。レーベルのボスであるエディ・ピラーは当時の様子を〈ジェイは成功しても何も変わらないよ。ポケットに小銭しか入ってない頃から尊大だったしね!〉と親愛を込めて振り返っている。その自信にどんな根拠があったのか、同曲が瞬く間に評判を集めると、早々にソニーからメジャー・デビューの話が舞い込むことになった。アルバム8枚という新人としては異例の契約を結んだジェイは、意気投合したトビー・スミス(キーボード)やスチュアート・ゼンダー(ベース)らを中心にバンドの体裁を整え、翌93年にセカンド・シングル“Too Young To Die”でメジャー・デビュー。スティーヴィー・ワンダーを想起させるスキャットが印象的な同曲は全英10位まで上昇するヒットとなるが、反戦のメッセージを前面に出したリリックが賛否を招いている。同年のファースト・アルバム『Emergency On Planet Earth』も見事にチャートを制しているが、ロゴの向こう側に隠れたミステリアスな存在感と地球環境や政治問題にまで言及するメッセージの率直さ、スタイリッシュなサウンド……それらのギャップが彼らへの関心や批判を加熱させたのは言うまでもないだろう。

 

 

矛盾も抱え込んだ普遍性

脱退したニック・ヴァン・ゲルダーの代わりにデリック・マッケンジー(ドラムス)を加えたジャミロクワイはツアー中にレコーディングを進め、翌94年に早くもセカンド・アルバム『The Return Of The Space Cowboy』を完成させている。前作以上に濃密な雰囲気に包まれたこのアルバムではメンバー個々のカラーが出てきた印象で、特にスピリチュアル・ジャズ風の音色が心地良く響くのは、ほぼ全曲をジェイと共作したトビー・スミスの色が出た結果だろう。メディアに向けてはジェイ+バック・バンドという印象を抱かせつつ、バンドでの〈ジャム〉を通じて楽曲を膨らませていくという手法はこの頃から現在まで変わらないジェイのこだわりではないだろうか。

そして、後にダニエル・ベディングフィールドを手掛けて売れっ子になるアル・ストーンを共同プロデューサーに起用した3作目『Travelling Without Moving』(96年)で、彼らは一段上の成功を収めることになる。初めて全米チャートに入り(24位)、日本でも特大ヒットを記録したこのアルバムで原動力となったのは、先行シングル“Virtual Insanity”とジョナサン・グレイザーが監督したそのPVだった。一方では、メディシンマンのロゴをフェラーリのロゴに組み合わせたアルバムのジャケや、愛車自慢とスピード狂ぶりを露にした“Cosmic Girl”のPVなどは、エコロジーを訴える姿勢と言行不一致だとしてまたも批判を浴びることになる。〈フェラーリも自然も好き〉という人は多いと思うが、わざわざ口にしなくていい矛盾さえもそのまま表現してしまうのは実にジェイらしい。また、それらすべてを普遍的で魅力的な楽曲に仕上げてしまうのもジャミロクワイらしいところなのだろう。

 

 

が、目まぐるしい日々はまたしてもバンド内に軋みをもたらすことになった。4枚目のアルバムを作りはじめた98年10月にスチュアート・ゼンダーが突如脱退してしまったのだ。バンドは作りかけていた曲をすべてスクラップにして、半年で新作『Synkronized』(99年)のリリ−スに漕ぎ着けている。ストリングスを強調したディスコ調の先行シングル“Canned Heat”をはじめ、ラテンの“Planet Home”、〈心配しなくても君の悪口は言わない/君が落ちぶれていくのを急いで見たいわけじゃない〉とゼンダーに向けて(?)歌ったレゲエの“King For A Day”など、ヴァラエティー豊かな内容は、ジェイの成熟と普遍性の高いアレンジに長けたメンバー個々の力量を反映するものだと言えるだろう。2001年にはその普遍志向をよりシンプルな編成でよりアッパーに突き詰めた『A Funk Odyssey』を発表。ジャケにはついにメディシンマンではなくジェイ・ケイ自身が登場し、名曲“Little L”や“Love Foolosophy”では社会的なメッセージよりもフロア・ミュージックとしての機能性や昂揚感を追求して、バンドとしての新生面も窺わせていた。

 

音楽に集中した新作

が、同作のプロモーションで訪れていたNYにて〈9.11〉を目の当たりにしたジェイは、ヨーロッパ・ツアー後にしばらく活動を休止することになる。その間には中心メンバーであるトビー・スミスらの脱退に伴う紆余曲折があり、結局2004年までレコーディングが行われることはなかった。“Spinning Around”(2000年)でカイリー・ミノーグの復活を演出したマイク・スペンサーを共同プロデューサーに迎え、通算6作目となる『Dynamite』が発表されたのは翌2005年のことだ。ここではふたたびメッセージの比重が上がり、ブッシュ大統領批判やカルト宗教にも踏み込んでみせている。同作とベスト盤によってソニーとの契約を満了したバンドは、いくつかのライヴをこなしながらそのままゼロ年代を終えることになった。

そして、今回の『Rock Dust Light Star』である。デビュー前から尊大な我を貫き、22歳で望外な契約を手にしたジェイが「人生は40からっていうだろ? それはホントだよ」と笑う。ジャケには満場のオーディエンスを背にして微笑む彼自身の姿が映っている。徐々に人間臭くなっているというか、策を弄さなくなったというか、現在のジャミロクワイは音楽以外の何かに集中する必要がないのだろう。この様子だと、彼らの音楽が忘れ去られることは決してなさそうだ。

 

▼関連作を紹介。

このたび当時の初回限定盤がリイシューされたベスト盤『High Times: Singles 1992–2006』(ソニー)

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