こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

commmons: schola──「音楽の学校」夏期特別講座(3)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年10月04日 19:03

更新: 2010年10月05日 16:04

ソース: intoxicate vol.87(2010/8/20発行)

text:小沼純一(早稲田大学教授・音楽評論家)

浅田彰は、社会の変化のなかで、ベートーヴェンのいかめしさからモーツァルトの軽妙さへと変化したプロセスを語る。あわせて、ベートーヴェンとヘーゲルがともに1770年の生まれで、十代の終わりという多感な時期にフランス革命がおこったことが、その生涯としごとに大きな影響をおよぼしているとの指摘がなされる。奇しくも、坂本龍一、浅田彰両人は、アドルノの分厚い『ベートーヴェン 音楽の哲学』(作品社)を持参している!

この列島では年末になるとさかんに演奏される《第九交響曲》は、まさにヘーゲル的な弁証法をあらわしている。第1楽章、第2楽章、第3楽章ときて、第4楽章ではそれまでの3つの楽章が丁寧に引用されつつ、ひとつひとつ否定されてゆく。坂本龍一は音源をかけながら、この部分をたどってみせる。否定のしかたが、テーマごとにちがっているのことも、特に強調はしていないが、ニュアンスから伝わってくる。つまり、第1楽章や第2楽章のテーマへの激烈な否定に対し、ゆったりとした第3楽章への否定は、もっとニュアンスに富んでいる。ほとんど、晩年のベートーヴェンが到達した超越的な美しさを持っているのに、それでさえやんわりと否定して、よりわかりやすい、誰にでもすっとはいってくる音の上下運動 ――メロディの語源となった〈メロス〉を想起させる──こそが、第4楽章の、シラーの詩がのせられるテーマとなるという事実。しかも、この第4楽章、けっして一筋縄ではいかない……。

壇上3人は、先にも記したように、権威的なベートーヴェンを苦手としているという点では共通していた。そして、子どもの頃からある程度親しんだし、勉強もしたけれども、どこか居心地のわるいものを感じていた。だが、このscholaをやることで、あらためて聴きなおしたり、調べなおしたりすると、〈やはり〉、ベートーヴェンの凄さがわかってくるのである。scholaは、CDと本とで、いろいろな人たちに刺激を与えようという試みだけれども、同時に、その刺激する装置をつくっている側もまた、とても刺激され、勉強になっているとの事実があるのだ。

この公開講座、じつは、聴きどころの最たるものは、坂本龍一がベートーヴェンを弾く、という場面であったのである。その場にいた人たち──これを読んでいたりするかな? ──がどの程度気づいていたかは疑問だけれど、希有な出来事だったのだよ、あれは。ほんと。

坂本龍一はあらためてヘンレ版のソナタ全集2巻を買いなおし、リハーサルで、「ほとんど初見」で、いくつかの部分を弾いた。それを聴いていた浅田彰と小沼は、ともに、あ、うまい、弾けている……と息をつめていたのであった。ベートーヴェンを弾くのは「35年か40年ぶり」とのこと。(ちなみに、楽屋に戻ってから、ネット上にでているゴダール『Film Socialisme』が、翌日おなじ場所でおこなわれる『マラルメ・プロジェクト』の準備に余念がない高谷史郎氏をまじえて、もっぱら話題になったため、本番までに「ベートーヴェン」に心身を戻すのはけっこうシンドかったのだった)。

次のページへ

インタビュー