commmons: schola──「音楽の学校」夏期特別講座(2)
さる7月23日金曜日、京都造形大学春秋座で「commmons schola:音楽の学校 夏期特別講座」がおこなわれた。公開の場で、坂本龍一、浅田彰、わたくし、小沼純一の3人が話をするのははじめてのこと。客席には大学生を中心に、中高生や引率者の姿もあり、盛況。18時に開演して終わったのは21時、二三の質問やラストでの岡田暁生の飛び入りもあり、ひじょうに密度の高い対話がなされた。わたくし小沼は、報告者として、いささか気恥ずかしさを感じつつも、できるだけ客観的に報告させていただこう。
全体は、前半にscholaについての話があり、後半に、現在刊行が準備されている「ベートーヴェン」巻への、具体的なアプローチとなった。
かつてのような規範がくずれてしまった現在、すべては等価なものとしてある。さまざまな音楽をわたしたちは自由に聴くことができる。しかし逆に、あまりに多くの音楽があるために、何とはなしに自分のそばにあるもの、メディアをとおして容易に触手にふれてくるものばかりに耳がむいてしまったりもする。だからこそ、規範がくずれていることを前提にしつつ、あらためて、一種の音楽遺産とも呼ぶべきものにアプローチしてみよう。ただ客観的に、ではなく、坂本龍一という現在進行形で活躍している音楽家をとおして、そのバイアスを積極的に受けいれて、聴いてみよう。
ただ音楽をのみ取捨選択してCDにするのではなく、鼎談というようなかたちで、どこが、どうおもしろいのかをことばで語り、さらにTVやネット画像をとおして、よりヴィヴィッドなかたちで提供するのも、scholaの特徴だ──
こうしたことはすでに何度か語られているけれど、あらためて、公的な場で確認された、とでも言ったらいいだろうか。そして、かならずしもおもてだってはいないけれども、schola30巻でとりあげられるさまざまな音楽の背後には、これだけ音楽はあるけれど、じゃあ、音楽って何? との問いがある。わたしたちがごくごくあたりまえのものとして享受し、ほぼアプリオリに承認している〈音楽〉は、しかし、一歩さがってみれば、何なのか。
坂本龍一は、ピグミーの音楽をパソコンで再生し、敬愛する小泉文夫のしごとを紹介しつつ、音楽への人類学的なアプローチを語る。
schola全体のコンセプトと、音楽なるものへの問いが提起された後、ステージはごくスムーズに〈ベートーヴェン〉へと移行する。
西洋芸術音楽の代表として捉えられ、〈楽聖〉として音楽室に眉間に皺をよせた肖像画が飾られたベートーヴェン。壇上にいる3人にとって、ベートーヴェンはもともとそういう存在であり、一種の権威のようにしてあった。しかし、〈いま〉、ベートーヴェンはどうか。かつてのプレスティージュはあるだろうか。
カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2010年10月04日 19:03
更新: 2010年10月05日 16:04
ソース: intoxicate vol.87(2010/8/20発行)
text:小沼純一(早稲田大学教授・音楽評論家)