大エピタフまつり
RANCID(Photo by Mitch Ikeda)
パンクとは何か? パンクであるとはどういうことか? そんな問いに対して、30年かけてある種の回答を示し続けてくれているのがエピタフだ。ロック界どころか音楽シーンきっての老舗インディーだと言える彼らも、いよいよ三十路に突入したというわけである。
一口に老舗といっても、メジャー・レーベルも含めて統合や再編、吸収などの動きが激しかった時代をくぐり抜けて、スタートした頃と同じインディペンデントな体制を保ち続けているのはほとんど奇跡に近い。そもそもエピタフは、バッド・レリジョンのブレット・ガーヴィッツが自分たちのレコードをリリースするためにLAで始めたインディー・レーベルである。現在ではヘルキャットやアンタイ、ファット・ポッサムなどの傘下/兄弟ブランドを抱える複合レーベルになっているが、設立時は多くのパンク・バンドと同様に、自分たちのレコードを自分たちで出すための組織を立ち上げたにすぎなかったのだ。最初のリリースは81年、バッド・レリジョンのEP『Bad Religion』だった。以降も自分たちや身近な仲間たちの作品をメインにしながら、エピタフはゆっくりと、着実にパンク・ファンからの厚い支持を獲得していく。
NEW FOUND GLORY(Photo by Dave Hill)
その規模が一気にスケールアップしたのは90年代初頭だった。バッド・レリジョンに触発されて台頭してきた西海岸の若手バンドたちを着実にフックアップしてきた成果が実を結んで、レーベルそのものの知名度も飛躍的に高まっていったのだ。その立役者となったのがメロコアの走りとなったNOFXやペニーワイズであり、93年に契約したランシド、そしてオフスプリングの大ブレイクはエピタフを狂騒に引き込むことになる。特にオフスプリングの94年作『Smash』が当時のインディー史上最高となる異常セールスを記録したことで、レーベルや個々のアーティストにもメジャーの手が伸びるようになったという(オフスプリングは翌年エピックに移籍)。当のバッド・レリジョンもアトランティックと契約し、ブレットは社長業に専念するためにバンドを離脱することとなった。
賑やかな動きを横目に見ながら、その時期にはいくつかの傘下レーベルも産声を上げた。97年にはティム・アームストロング(ランシド)がヘルキャットを設立し、スカ・パンクやサイコビリー、Oiなどパンク内の各セグメントに特化したコアな音楽性を追求しはじめている。そして、99年には多様なアメリカン・ルーツ・ミュージックを掘り下げるアンタイが設立され、エピタフは一面的なパンク・ロックのレーベルに止まらない、成熟した音楽も内包したレーベルへと成長していくことになったのだ。これこそが、外面的でファッション化されやすい擬似反抗ロック的なポーズとは一線を画す、精神的な意味でのパンク(=オルタナティヴ)を宿したエピタフが幅広いリスナーから信頼を集める所以でもある。
ONE DAY AS A LION(Photo by CRAIG STECY)
2002年にはブレットがバッド・レリジョンに戻り、バンドもエピタフに復帰してきた。パンク・ロックのユニークなヴァリエーションを紹介してくる一方で、ブルースやソウル、ヒップホップなど、多様なカテゴリーに跨がる音楽の発掘にも余念がない。例えばノンサッチやアメリカン・クラーヴェ、あるいはリック・ルービンのアメリカンにも通じる多彩さで、誠実なリリースが続いているのだ。いまさらメジャー対インディーといった二元論を振りかざしてインディー精神を正当化/美化するような行為も噴飯モノだが、それでもこの歩みは美しいとしか言えない。Don't trust over thirtyなんていつの言葉だよ? 三十路を迎えたエピタフはこの先も意欲的に、新しくカッコイイ音楽を届けてくれるだろう。
▼90年代のエピタフを象徴する作品を一部紹介。
左から、ペニーワイズの91年作『Pennywise』、NOFXの94年作『Punk In Drublic』、オフスプリングの94年作『Smash』(すべてEpitaph)
▼関連盤を紹介。
左から、バッド・レリジョンの82年作『How Could Hell Be Any Worse?』(Epitaph)、トム・ウェイツの99年作『Mule Variations』(Anti-)、ソロモン・バークの2002年作『Don't Give Up On Me』(Fat Possum)、ギャラクティックの2006年作『From The Corner To The Block』(Anti-)
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