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特集

武満徹とJ-L .GODARD(2)

武満徹が亡くなって14年が経つ。そして、もし生きていたら、という仮定のうえで、<生誕80年>のコンサートもおこなわれるわけである。14年間、新しい<作品>は生まれていない。蘇演されたり、再発見されたり、あらたに編曲がおこなわれたり、ということはある。でも、めまぐるしく変化している1990年代以降の<世界>のなかで、ペンがおかれたものではないことだけは、たしかだ。それを惜しむ、あるいは、しかたがないとあきらめることもある。その一方で、音楽のメリットのひとつにちがいないのだけれど、新たな演奏が<作品>にこれまでになかった光をあてる、これまでにはみえてこなかったものをみせてくれるということは、確実に、ある。

東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアルは、作曲家の名を冠していることもあるのだろう、「生誕80年」として、武満徹の誕生日、10月8日に記念のコンサートをおこなう。演奏は、生前から武満徹と親しかったイギリスのオリヴァー・ナッセン――映画よりはるかに先駆け『かいじゅうたちのいるところ』をオペラ化し、イギリスで大きな評価を得た作曲家/指揮者――と、ピアニスト、ピーター・ゼルキンの共演である。武満作品のみならず、ヴェーベルンとナッセン、ドビュッシーの作品が演奏されるのも注目ではあるけれど、ゼルキンが、《リヴァラン》《アステリズム》と、ピアノとオーケストラのための二作品でソリストをつとめるのは、何と言っても注目だ。作曲年代も《リヴァラン》が1984年、《アステリズム》が1968年と、時代的にも、スタイルとしても大きな違いがある。それでいながらつながっているものがあることの不思議さ。ちなみに、ドビュッシー《聖セバスチャンの殉教》は、坂本龍一による『schola:Debussy』にも収録されている、ペンタトニックを用いた神秘的作品。武満徹がドビュッシーの作品に大きな影響を受けたのは周知のことだけれども、先達の作品が、コンサート会場で聴いてこそ、そのデリケートな音のうごきや変化がわかる、と述べていたのはつよい印象をのこしている。それはもちろん、自らの作品においてもそうであることを望んでいたにちがいないのだけれども。

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カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年09月18日 13:53

更新: 2010年09月19日 21:00

ソース: intoxicate vol.87 (2010年8月20日発行)

interiew&text:小沼純一(文芸・音楽批評家/早稲田大学教授)

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