くるり
PAST AND PRESENT
例えば、こんな想像はどうだろうか? もし、このバンドが90年代終盤に現れていなかったら、そしてこのバンドが常にトップランナーとして2000年代を駆け抜けてこなかったら。間違いなく、日本の音楽シーンの地図はいまのような形ではなかっただろう。もちろん、大きな影響力を持つアーティストは彼らばかりではないが、〈日本のロック〉というある種の泥臭さのある文脈にしっかりと根差し、そのうえで〈新たな伝承音楽=フォークロア・ミュージック〉を作り上げようとする高い意識を持って長く第一線で活動している筆頭は、おそらくこのバンドではないかと思う。そう、岸田繁(ヴォーカル/ギター)と佐藤征史(ベース)によるくるり。その存在の大きさはキャリアを重ねるにつれて大きく膨れ上がるばかりだ。
頭のなかで鳴っている音を形にする
もしかすると、いまだに彼らのことを、アルバムごとに常に新しいモードを提示することに心血を注ぐタイプのバンドだと思っている人もいるかもしれない。確かにそういう時期もあっただろう。地元・京都で撮影したジャケットのポートレートに写る笑顔が眩しいファースト・フル・アルバム『さよならストレンジャー』(99年)は、決してエスタブリッシュはされていなかったものの、立命館大学のサークルで活動を開始した頃の不格好で青臭いまでのエネルギーがそのまま形になった、実にネイキッドな作品だった。しかしそれ以降の彼らは、プレイヤビリティーの向上に伴って徐々にクレヴァーな音作りを試みるようになっていく。実際、ジム・オルークをプロデューサーに迎えて音の質感にフォーカスした2000年作『図鑑』から、エレクトロニカ〜ハウスなどのクラブ・ミュージック指向を打ち出した2001年作『TEAM ROCK』、そして2002年作『THE WORLD IS MINE』へと続く時代は、〈今度は何をやってくれるのだろう?〉という、玉手箱を開けるような期待感を聴き手に募らせていた。ただし、それは決して確信犯的な行動によるものではなく、岸田以下メンバーのその時々の好奇心による産物であり、音楽を摂取し、血肉とすることに、真摯に向き合った結果だったはずだ。ちょうど『TEAM ROCK』をリリースした頃、岸田は筆者との取材でこんな話をしてくれたことがある。
「頭のなかで鳴っている音、リズムをなかなか再現できなくなってきた。そのもどかしさがアルバムを作るたびに出てきてるんです。で、頭のなかで聴こえてる音をどうやって形にするのかを考えていくと、自然といろいろ試してみたくなるんですよね。だからリズムもアレンジも変えてみてるんです」。
森信行、クリストファー・マグワイア、大村達身……と、ドラマーを中心にこの10年ほどの間に岸田と佐藤以外のメンバーは入れ替わっている。いまはサポート・ドラマーとしてboboこと堀川裕之(54-71)を加えたトリオ編成で定着しているが、例えば鍵盤/ピアノで堀江博久、三柴理、世武裕子らが、ギターで藤井一彦、内橋和久などがツアーなどにこれまで関わっており、参加メンバーは流動的だ。だが、それもすべて岸田が自身の頭のなかで鳴っている音を形にするために行ってきた前向きな内部改革の末のことだった。だからいま聴いても過去の作品は決して鮮度が落ちていない。なぜなら、そのつどそのつど曲に合った意匠を真剣に求めてはいたものの、それはただカッコイイ作品に仕立てるための手段などではなく、ソングライティングの根幹部分をしっかり育むことを最終的な目的としていたからだ。彼らはくるりというバンドのソングライティングをしっかりとブレないようにするために、意識的にさまざまなプロダクションを作品ごとに与えていたのかもしれない。
くるりという名の伝承音楽
「いまでも言われるんですよ。3、4枚目が好きな人から〈また打ち込みで作ってくださいよ!〉とか、『アンテナ』が好きな人から〈また血がたぎるようなジャム・セッションやってください〉とかね。で、〈そうね、そのうち~〉と言っておきながらそういうリクエストは右の耳から左の耳に抜けてるんですけど(笑)。もういまは音楽好きにだけアピールするようなのはいいっていうか、プロダクションとかアレンジとかを先に考えるのが邪魔臭くなって(笑)。極端に言えば、くるりとTHE ALFEEを同時に聴いているって人のほうが〈届いてるな〉って感じがするんです。そう考えたら、もうどんどんシンプルになったほうがいいように思えてきた。自分たちがやりたい、自分たちにとってシンプルな表現に従うだけで新しいものが出来るんじゃないかな?って思えるようになったんです」(岸田)。
「〈今回はこれが売りです〉みたいなのがないとアカンのとちゃうかな、とか、それがないと怖いな、みたいな気持ちがあったのかもしれないです。でもいまは歌のためにある演奏を普通にしてるっていうか。それがいちばんって思えるようになったんですよね。アレンジとかいろいろなことをしなくても曲はちゃんと伝わっていくって、最近になってようやく思えてきたのかもしれないです」(佐藤)。
「たぶん、昔の曲に比べると新作の曲のほうがずっとコピーが難しいと思う。やりやすいようで、できない。絶対僕らしかくるりの曲はコピーできないはずですよ。その自信がやっとここ最近になって出てきたのかもしれないです。もちろんまだまだですけど、いまは他のアーティストの新譜を聴いて、影響されて、刺激を受けて……みたいなことってなくなりましたからね。本当に好きなもの、ええなと思えるものは自分のなかにもうちゃんと出来てるってことなのかもしれないです」(岸田)。
アナログ録音を大々的に採り入れた2005年作『NIKKI』、クラシック音楽からのフィードバックを受けてウィーンで録音された2007年の『ワルツを踊れ Tanz Walzer』をピークに、くるりはそうした〈意匠ありき〉な作品作りからは次第に離れていく。飾り気のない演奏をそのまま打ち出し、楽曲の持つポテンシャルの高さを堂々と伝え、そのなかからバンドとしてのテーゼを抽出させている現在の彼ら。それはともすれば、インディー時代〜『さよならストレンジャー』で見せていたひたすらに生身をさらけ出す姿と重なる、という印象を与えるかもしれない。だが、10年以上の時間をかけて音作りに対する無邪気な好奇心を確実に血肉としてきたくるりは、もうあの頃とはあきらかに違うバンドだ。一見さりげない、でもヴァイタルでアクの強い生命力と包容力と優しさと開かれた目線を持った〈新たな日本のロック〉、すなわち〈くるりという名の伝承音楽=フォークロア・ミュージック〉を鳴らすバンドへと成長したのだ——。
FROM NOW ON...
「癒し系ですよね、今回のアルバム(笑)。だってね、いまの音楽シーンって、カッコ悪い音楽が多すぎでしょ。みんなナルシスティックすぎるというか。もちろん自分もそういうところがあるから、ちょっと力を抜いたほうがええかなって思えてきたんです。なんかこう、八百屋のオバちゃんに気軽に挨拶するような感じというかね。そういう感覚がいまは大事なんやないかな?」(岸田)。
さて、ここでニュー・アルバム『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』だが、かなり〈素のまま〉感のある作品だ。純然たるポップスの“魔法のじゅうたん”や“シャツを洗えば”、花唄風の“東京レレレのレ”、ファンク・テイストの“コンバット・ダンス”、ロカビリー調の“石、転がっといたらええやん”などなど曲調はさまざまだが、余計な意匠を纏わずに真っ裸のままポンと放り投げられたような曲が、実にさりげなく並んでいる。ただ共通しているのは、どの曲もルーツは明確であるものの、最終的には〈くるり印〉としか言いようがないほど、すべての要素が100%彼らの音楽細胞になりきっていることと、パンク以降の洋楽的なイディオムがほとんどないことくらい。だが、作品の断面はこれまででもっとも濃厚だ。言ってみれば、デビュー以来いつの間にか出来上がっていた岸田と佐藤のミュージシャンとしての音楽観、リスナーとしての趣向などがぎっしりと凝縮されたアルバムとも言える。
「僕らがデビューした頃、洋楽みたいなバンドって多くて、正直僕らもやりたいなって思っていたんですよ。でも実際曲を作ると、どうしてもそうはならへん。で、デビューしてから洋楽じみたクォリティーを否定していけるようになった。と同時に、より昔の音楽を聴くことが増えたんです。昔の音楽には情報だけじゃない、スピリチュアルなものも入っているでしょ? そこに震えるんですよね。で、気がついたらホンマに好きなものだけが自分のなかに残って染み込んでいた。それはジャンルとかそういうのやなくてね。言ってみれば、そういう感覚で作りました。だから自分でいられるような曲ばかりなんです」(岸田)。
「いま僕らが好きで聴いている音楽もそういうのばかりなんですよね。それってどういうことなんかな?ってときどき繁くんとも話してきたんです。で、気付いたら繁くん自身の書く曲が変わってきていたんですよね」(佐藤)。
自分が自分でいられるような感覚。岸田はその感覚を求めて、いまも時間を見つけては京都に帰る。それは自分の心の居場所があるから。そこにいれば裸になれるから。だから今年に入ってすぐ、岸田と佐藤は京都のスタジオ・SIMPO(くるりとは立命館大学時代からの仲間でもあるママスタジヲの小泉大輔が経営)でプリプロを敢行。古くは2年くらい前に用意していた曲から、今年に入ってから京都で書いたものまで出来た時期はまちまちだというが、岸田が心と心で渡り合えるような曲ばかりが揃っているのは間違いない。
「じゃあ、どういう音楽がいいなと思えるかというと、目の前で奥田民生さんが歌ってて、横でそれを聴いている、みたいな。人間性みたいなものが滲み出てるような音楽というか、それが伝わってくる状態で聴く音楽がいいと思えるようになったんですよね。それは日本の音楽だけがいいってことじゃない。ドメスティックなものを演出している音楽にはむしろ興味がないんです。もっと人としての強さのある音楽がいまは聴きたいし、作りたいんですよね」(岸田)。
岸田が新作において明確にフォーカスした、心と心が渡り合えるような、ある種の強さがある日本語の音楽。それはどんな人間も身体のなかに生まれながらに持っている感性と、成長する過程で蓄積させていった感覚とが作り上げる、足下深くにしっかりと根差したアイデンティティーに起因するものかもしれない。それを〈民族性〉という言葉で置き換えてしまうとやや大袈裟かもしれないが、少なくとも『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』からは、岸田繁と佐藤征史がそうやって長く自分の身体に刻んできた人間像のようなものが間違いなく伝わってくる。
「民族性、大事ですよね。で、いまはそこにもっと人としてのユーモアがあるような音楽をやっていきたいんです。アイロニーとか冗談とかが入り込んだ、人間として魅力のある音楽。それが今回のアルバムで出せたかなとは思っています。新作に入っている“温泉”という曲の歌詞には特にそういう思いが出ていると思いますよ」(岸田)。
▼くるりの関連作を一部紹介。
左から、くるりが手掛けた2003年のサントラ『ジョゼと虎と魚たち』、くるりのベスト盤『ベスト オブ くるり / TOWER OF MUSIC LOVER』(共にスピードスター)、岸田繁が出演した2009年の映画「色即ぜねれいしょん」(バンダイビジュアル)、くるりのカップリング集『僕の住んでいた街』、新作の先行シングル“魔法のじゅうたん”(共にスピードスター)