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映画 『朱鷺島 創作能「トキ」の誕生(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年06月28日 19:21

更新: 2010年06月28日 19:57

ソース: intoxicate vol.86 (2010年6月20日発行)

Interview & text:小沼純一(文芸・音楽批評家/早稲田大学教授)

津村:わたくし、佐渡とは30数年のかかわりを持っております。もともと創作能をつくるというおもいがあったわけではなかったのですけれど、佐渡で新しい能舞台をつくる、実際には古い舞台を移築したわけですけれども、わたしと佐渡とのかかわりを島の方々が認めてくだすって、佐渡市から公演のご依頼を受けたんですね。

最初は古典をやればいい、神社にちなんだようなものをやればいいと考えていたわけですけれど、地元からは能舞台をつかって文化の拠点のようなものにしたい、何か発信はできないか、というような話をいただいた。わたし自身は佐渡への恩返しを何もしていないし、考えてみようかなというのが発端としてありました。題材を選んで……能のなかには鳥を扱ったものはいくつかあるのですけれど、朱鷺はどうか、と。そうすると、朱鷺の社会的な状況というのがあって、そうしたことも入れざるを得ないだろう。でも、もうちょっと素直なかたちでできないか、ということで、小学校でトキを飼っていたという経緯もわかったりしたわけです。

以前にもシェークスピアであるとか、創作能はやっていましたが、それらとは違う作り方ができないか、と考えました。


三宅:きっかけは……けっこういりくんでいて、はじめにプロジェクトありき、などではなかった。津村さんが夏に佐渡にいらして新作能をやる、おもしろそうだな、何かあるかもしれないな、と気軽なところがあったのでしたが。

小沼:プロセスがおもしろいのです。子どもが書いた詩からとられたことばはそれなりにふつうのものなのですが、それが津村さんのことばと組みあわされ、実際に練習にはいってゆくと、もう、音が変わってしまうんですね。一言でコラボレーションと言うけれど、どれもがおなじ平面で対等というのではなく、ぐんと何段もレヴェルがあがる。何気ないことばが、津村さんのことばと声で、いきなり立ち上がり、生きる。その瞬間がすばらしいし、驚きがあるのです。

三宅:出来上がった能の作品は、公演で安心感をもって観ることができるわけですけれども、それが出来上がるまでのプロセスには、完成した作品からはこぼれでるもの、にじみでるものがある。打合せのシーンで能楽師たちが、実際の楽器を演奏するのではなく、手で拍子をとる、そうした身体じたいを注視すると、すごくべつのものが立ち上がってくる。もともと私は身体というものにこだわって映像作品を撮っていたので、こうした見え方、聞こえ方がみえやすくなったのかもしれない。

小沼:映画そのものはとても淡々としていて、ドラマティックなどとはほど遠い。また津村さんはいつもにこやかに語られる。そうしたところから、一瞬にしてべつのところにはいるところがあるんです。そのコントラストがみどころ/ききどころです。鼓童の方々と一緒に舞台にあがるのも、また緊張感や空気感が違ってくる。

津村:鼓童の方々も、能舞台でやったことはあるけれど、能役者と一緒ということはなかったわけで、不思議な経験だったんですね。建物としての能舞台と、能役者、それに囃子がそこにはいったときとでは、空間が変わってくるわけです。

小沼:撮影した公演は一回きりで、そこで生まれてくるものが、よく「生きている」、とでも言いましょうか。津村さんと鼓童の「あいだ」、囃子と鼓童の「あいだ」というようなところがね。どう「間」をとるか。もちろん津村さんの舞台でのあゆみ、動きはある程度決まっているのだろうけれど、そこにどう他者がかかわり、干渉してきて、たちあがる時間や空間、「あいだ」が変化するのか ───わかる。

津村:つくってゆくうえで、能というと幽玄とかいろいろと言うわけですけれど、難しいことはしないようにというのはあったのです。トキそのものの存在が持っているものがたくさんありますし。それを演奏者各人が受けとめながら、対応してくれたんだろう、とおもいますね。

三宅:能楽師どうしのやりとりというのは、もっとこう、シビアなというのか、きついかんじのやりとりなのかなという先入観があったんです。それが意外に穏やかでフランクなやりとりがある。でも、そのなかできゅっと一点あがるところがでてきたりするわけですね。津村さんも、ふつうに話されているなか、ワン・センテンス、ぴしっと言われたりする。謡を決めるとき、現代語を使っているせいで通常の能とは違って、うたいづらくなっている部分を、うたい易くしてしまうのか、あえてうたいづらいままにしておくのか、というようなことを仰っていたり、鼓童のうちあわせのあとで、結局は(両者の)闘いだ、とぽろりと仰ったり。あんなに穏やかに話されているあいだに、ね。


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