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特集

CHRISTINA AGUILERA

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2010年06月23日 17:59

更新: 2010年06月23日 18:15

ソース: bounce 322号 (2010年6月25日発行)

文/内本順一

 

まずはこんな話から。4年前の6月のこと。サード・アルバム『Back To Basics』を作り終えたばかりのクリスティーナ・アギレラを、ビヴァリーヒルズのホテルで取材した。与えられた時間は20分。だが、20分のわりには情報量の多い充実した内容のインタヴューになった。筆者の力量ではない。インタヴュイー(インタヴューされる人)としての彼女の力量によるものだった。

若い女性ポッパーの場合、わりと感じ良くにこやかに応えてくれて好印象を残しても、録音したものをあとで文字に起こしてみると、〈ありゃ、意外に“使える”言葉が少ないじゃん〉なんてことがけっこうあるものだ。が、クリスティーナはその真逆だった。必要以上の笑顔で愛想良く話すわけではない。しかし、質問を投げかけると間髪入れずに澱みなく答えを返し、しかも文字にした際に引きになるような、書き手にとっての〈おいしい〉ことを言ってくれる。短い時間で自分のアピールしたい情報をいかに的確に、いかに引きを持たせながら伝えるかということに非常に意識的で、プロモーションの何たるかとその要領をよくわかっている人なのだ。頭の回転が速く、圧倒的にプロフェッショナルなのである。

思えばクリスティーナ・アギレラの在り方はデビュー時から一貫して絶対的なプロフェッショナリズムに貫かれていた。抜きやユルさを活動に持ち込まない。方向性を定めたら、ひたすらその表現の完成度を突き詰める。ヴィジョンと戦略の描き方が明確で、曖昧さがない。その時々で自分が何を見せたいのかがハッキリしているから、表現が強固なものになる。インタヴュー時の姿勢や言葉にも、つまりそれが反映されていたということなのだろう。

 

全力で、徹底的に……

 

 

1980年12月、NYのスタッテン島でクリスティーナ・アギレラは生まれた。父親はエクアドル出身のアメリカ陸軍軍曹。母親はアイルランド系アメリカンのヴァイオリニストにしてピアニスト。父親の仕事の関係で3歳から6歳まで日本に住んでいたことは、わりと知られた話だろう(ゆえに彼女は意外と日本好きで、新婚当時にお忍びで来日したりもしていた)。「3歳の頃から瞬時にメロディーを聴き取れるほど耳が良かった」というクリスティーナはあたりまえのように歌手をめざし、その歌唱力は幼い頃から抜きん出ていて近所でも評判だった。憧れはマライア・キャリーやホイットニー・ヒューストン。6〜7歳にして当時住んでいたピッツバークでのパーティーなどで歌うようになり、NFLの試合前の国歌斉唱にも抜擢され、8歳で全国放送のTV番組「スター・サーチ」に出演。人気番組「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションに受かってレギュラー出演したのは12歳から13歳の2シーズンで、同期にブリトニー・スピアーズやジャスティン・ティンバーレイクもいた。

このように辿っていくと、歌の上手い少女が障害にブチ当たることもなく、トントン拍子で明るくデビューまで突き進んでいったような印象を受けるかもしれないが、実際はそうじゃない。2作目『Stripped』に収録された“I'm OK”や3作目収録の“Oh Mother”でも歌詞のモチーフになっているのでよく知られたことだが、幼い頃、父親が母親に暴力を振るうのをクリスティーナは目の当たりにしていた。その後、母と子は逃げるように家を飛び出し、クリスティーナが7歳のときに両親は離婚したが、心の傷は深く残った。そうした時期にまさしく拠りどころとなったのが音楽であり、それは救いにもなった。だからこそ彼女は音楽の持つ力を固く信じ、脇道に逸れることなく集中してその道を駆け上がっていったのだ。思えばそれは歌うという行為を自己表現として意識した、その始まりだったかもしれない。

自身待望のデビューのチャンスが訪れたのは98年。ディズニー映画「ムーラン」のサントラ収録曲“Reflection”を歌うシンガーのオーディションとして、RCAのA&Rだったロン・フェアからデモテープを作って送るよう促され、〈高いEの音が出せる〉という条件をクリアしたことから合格〜レコード契約。翌99年にアルバム『Christina Aguilera』でデビューとなった。その時点で「ミッキー・マウス・クラブ」卒業から4〜5年が経過していたわけだが、いま考えると、この決して短くない〈待ち時間〉が彼女の意識を高めるために重要なものだったのではないか。歌が上手ければエスカレーター式に即デビューできて、すぐにスターの座に就ける──芸能の世界はそんな甘いものじゃないのだと、この時点で彼女は肝に銘じたのではないか。実際のところ、デビュー後すぐに“Genie In A Bottle”“What A Girl Wants”“Come On Over(All I Want Is You)”が全米1位を獲得し、99年度のグラミー賞では一足早くデビューしてスターの座についていたブリトニー・スピアーズら強敵を抑えて最優秀新人賞を獲得するなど幸運なスタートを切りはしたが、一方で〈ブリトニーではなく、何でアギレラが?〉と世間の反感を買ったり、エミネムに軽くディスられたりもした。もとよりティーン向けの浮ついたポップスを歌いたかったわけじゃなかった彼女としては複雑な思いもあっただろうが、しかし、そうしたこともまたその後の大胆にして赤裸々な自己表現に繋がるひとつのきっかけとなっただろうし、時流に乗るだけの歌手であってはならない、自己プロデュース力を身につけて長く活動していくための術を得ねばならないと改めて意志を固める動機にもなったかもしれない。

本意じゃないことは手を抜いてやる。文句タレながら、かったるそうにやる──これすなわち、プロ意識の欠如である。たまたま時流に乗って目立つこととなった二流の〈なんちゃってアーティスト〉にそういうのが多い。対してクリスティーナは初めからプロ意識の塊のような人であり、そのときの方向性がこうと決まったら、あとはそれを全力で徹底的に体現する。中途半端さは皆無。1ミリでも迷いを見せたら表現が弱まることをわかっているからだ。思い出されるのは、2001年初頭の初来日公演。チアガール風の衣装をヒラヒラさせるなどして、溌剌と歌って踊っていたそこでの彼女は、ポップ・アイドルとしてどこまで華やいだステージを見せられるのか、エンターテイメントの可能性に挑んでいた感があり、その意識の高さに胸が熱くなった。

そのわずか数か月後にピンク、マイア、リル・キムとの競演による“Lady Marmalade”があり、翌年には〈リアルな私〉を剥き出しで伝えた『Stripped』を発表して「アイドル的なイメージをずっと払拭したかった」といった発言までしているのだが、しかし2001年初頭の初来日公演の時点ではそんな素振りなど少しも見せず、彼女は〈ポップ・アイドルとしての私〉を全うしていたのだ。受け手が混乱する余分な先の情報などは与えたり見せたりせず、そのプロジェクトの進行中には〈そのときの私〉像だけをとことん見せる。現在に至るまで彼女はそのやり方を貫いているわけだが、そこにあるのはまさしく表現者としての矜持にほかならない。

 

表現者としての自信と誇り

 

 

ひとつのプロジェクトで〈そのときの私〉像を完全に伝えきったら、しばらく時間をおいて次の表現の在り方を徹底的に練る。前とは異なるサウンドとヴィジュアルのコンセプトを、時間をかけて練りに練り、新たなイメージをいきなりドーンと打ち出して仰天させる。それも当初からの彼女のやり方だが、そのように早出しよりも満を持しての出し方に重きを置くのは、前述した「ミッキー・マウス・クラブ」卒業からデビューまでの数年間で培った意識が下地にあるのかもしれない。ひとつの確固たる表現を提示するには、そしてそれを完成形にまで持っていくには、相応の時間が必要なのだと彼女は知っている。だから初めてみずからイニシアティヴを握って大胆かつ過激に自己表現した剥き出しの『Stripped』から、サイレント映画時代の女優を意識した装いでヴィンテージ・ジャズやブルースなどにアプローチしつつみずからの原点を示しもした『Back To Basics』の発表までに約4年。そこから今回の新作『Bionic』までにも(子育てがあったからとはいえ)やはり約4年を要している。デビューから11年でようやく4作目というとスロウ・ペースに感じる人も少なくないだろうが、さながらサーカスの如く豪華で刺激的なツアーをもってしてその世界観を完成させ、そこから周到な準備を経てまた新たな世界観を打ち出すのにそれは必要な時間であり、クリスティーナはそのスパンをも武器にしているのだ。

新作『Bionic』の音を聴いてレディ・ガガへの対抗心をそこから感じた人は多いかもしれない。が、日本盤の解説によればクリスティーナがフューチャリスティックな音像作品の着想を得たのはプロディジーを聴いて衝撃を受けた15歳の頃に遡るとのこと。つまり15年越しのプロジェクトであったわけで、そのあたりからも彼女がロング・スパンでひとつの表現の実現を捉えていることが伝わるし、音をちゃんと聴けばそれが決して付け焼刃的なものなんかじゃないこともすぐにわかる。Twitterだ何だで情報公開・更新スピードが増すばかりの昨今、そうした速攻性・即時性に則ってみずからの表現(とは呼べない程度のものがほとんどだが)を刷新していく歌手も増える一方だが、そう考えるとひとつひとつの世界観をじっくり丁寧に仕上げてからじゃないと次に進もうとはしないクリスティーナは、むしろオーソドックスなアーティストであると言えるかもしれない。思い返せばかつてもいまも、ライヴァルと言われる女性歌手たちに比べてスキャンダルが少ないし、音楽以外の余計な話題を彼女のほうから提供することもほとんどない。華やかなパーティーに出向いて写真を撮られ、それによってタブロイドや女性誌を賑わせるなんてことともおよそ無縁。刺激的なヌード写真だって音楽表現の効果として戦略的に撮らせるのであって、そこには彼女のコントロールが働いているのだ。なぜならプロだから。表現者としての自信と誇りを持っているから。

いやそれにしても、このように徹底して音楽表現の追求だけで、もしくは歌唱という芸そのものだけでここまでの成功を収め、10年以上も先頭を走り続けてきた女性ポッパーはほかに見当たらない。異端じゃなく、むしろ正統的な表現活動にこだわってきたからこそ特別な輝きを放ち続けているという、クリスティーナ・アギレラはそんな稀有なアーティストなのだ。

 

▼クリスティーナ・アギレラの作品。

左から、2000年のクリスマス・アルバム『My Kind Of Christmas』(RCA)、デビュー前の音源をまとめた2001年発表の編集盤『Just Be Free』(Universal)、ベスト盤『Keeps Gettin' Better -A Decade Of Hits』(RCA)

 

▼クリスティーナ・アギレラのライヴDVDを紹介。

左から、2001年発表の「My Reflection」、2004年発表の「Stripped Live In The U.K.」、2008年発表の「Back To Basics: Live And Down Under」(すべてRCA)

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