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特集

パスカル・デュサパン(2)

カテゴリ : Exotic Grammar

掲載: 2010年06月11日 22:25

更新: 2010年06月12日 00:46

ソース: intoxicate vol.85 (2010年4月20日発行)

interiew&text:小沼純一(文芸・音楽批評家/早稲田大学教授)

デュサパンの作品について尋ねよう。6月にはアルディッティ弦楽四重奏団が来日し、日本の湯浅譲二、石井眞木、イギリスのバートウィッスルの作品とともに、デュサパンの《弦楽四重奏曲第5番》がプログラムされている。この作品は、サミュエル・ベケットの初期作品、『メルシエとカミエ』──有名な『ゴドーを待ちながら』の小説版ともいわれている──とつながりがあるというのだが……。

「ベケットは私にとって圧倒的な存在感をもっている作家、巨人です。この《5番》以外にも、《Cascando》《Clam》《Watt》《Quad》といったベケットのタイトルを引用・借用していますし、引用し続けています。《5番》では、まさに『メルシエとカミエ』の引用があるのですが、これはそもそも演奏=解釈するための情報提供なんですね。

私にとって音楽とは、森のなかを歩みつづけている動物にもなぞらえられるもの、ひとつの生きものとしてとらえられる存在です。動物だから、音楽はこれからどうすべきなのか、どの方向にむかうべきなのか、と考えつづけている。そのなかでの示唆としてテクストがあります。『メルシエとカミエ』では、2人の男性がこれからどうしていくのかを考え、相談している。このテクストは、音楽がどう進んでいくか、ながれてゆくかを示唆する重要なものなのです。

2年ほど前、室内楽のちょっとした作品を書き、そこでははじめてベケットそのものを直接的に引用しています。それ以外に、ベルリン州立劇場に委嘱されたオペラ『ファウスト、最後の夜』では、リブレットは自分で書いたけれども、ベケットを踏襲したかたちになっています。舞台構造自体も真四角になっているのはベケット的なのですが」

ベケットからの影響、示唆、あるいはベケットへの傾倒。だが、さっきデュサパンは楽観主義者を自称していたわけだけれど、ベケットはむしろ苛烈なペシミストで……

「ふふふ。いま、日本語で言ったこと、完璧にわかりましたよ(笑)。たしかに私の場合、とても特殊な楽観主義者であるとお断りすべきでしょう。というのも、私は最悪の状況になることを大前提としてすべて行動しているんです。最悪の状況であるのを予想して動き、意外なことにすばらしかった、というふうに驚きをもって状況をみるわけです。たとえば、今回日本に来るにあたって、旅をするのはいやでたまらないわけです。絶対いやだとかおもっているのだけれども、着いてみたら、楽しかったりする。おもしろいことがたくさんあったりする。私は、ベケットをペシミストというよりフォーマリストとして捉えているんです。さまざまなフォルムを満たしている、とね。ベケットの人間観や人間性については別の問題、別の観点なんだ、と」

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