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特集

OASIS

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2010年06月09日 18:00

更新: 2010年06月09日 18:00

ソース: bounce 321号 (2010年5月25日発行)

文/妹沢奈美

 

去る2月に行われたブリット・アワードにて、今年限りの部門として〈この30年間におけるベスト・アルバム賞〉が選出された。ノミネートされていたのは、全部で10アーティストの作品。ヴァーヴ『Urban Hymns』やコールドプレイ『A Rush Of Blood To The Head』からシャーデー『Diamond Life』まで、という幅広いセレクトのなかから選ばれたのは、誰もが納得するであろう90年代英国を代表する一枚……そう、ご明察。他ならぬ、今回の物語の主役であるオアシスのセカンド・アルバム『(What's The Story)Morning Glory?』(95年)だった。全世界で2,200万枚以上のセールスを上げ(2008年現在)、ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』が持っていた英国のアルバム売り上げ記録を更新、のみならずチャートも舌戦も連戦連勝する〈無敗の王者・オアシス〉を、音楽ファン以外の層にも印象付けた決定的な一枚だ。

授賞式に出席したリアム・ギャラガー(ヴォーカル)は、同作のリリース当時のメンバーだったボーンヘッド、ギグジー、そしてアラン・ホワイトの名を挙げて感謝を述べた。つまり……そこにあるべき名前がないことには、彼らにまったく興味のない人でも気付くだろう。幾度も兄弟ゲンカで解散危機を経験した彼らも、この数年は〈あまり関わりを持たない〉という形で距離感を把握したように見えていた。そして、誰もその後を継ぐ者のいなかった〈ローリング・ストーンズ化を果たす英国バンド〉への道を歩きはじめた印が、7枚目のフル・アルバム『Dig Out Your Soul』(2008年)における、不思議な落ち着きとしてうっすら見られた矢先に……オアシスが、終わるはずのなかった英国を代表するこの国民的バンドが、ついに終わった。

 

オアシスは変化していた

 

 

とはいえ、直接的な契機がやはりリアムと兄のノエル・ギャラガー(ギター/ヴォーカル)による兄弟ゲンカだったことは、オアシスがどれほど〈ビッグ〉になろうとやはりオアシスのまま終わったのだという、喜ばしき証拠でもある。整理しておこう。昨年8月28日、パリ郊外で行われたフェスの楽屋にて兄弟でギターを折る大喧嘩が発生。そしてノエルがその数時間後に、バンドの公式サイトで脱退を発表したのだ。むろん〈いつものアレ〉という見方をする人もいた。しかし、先に述べたように最新作の不思議な冷静さは、バンドのモチヴェーションが変化したことをも思わせ、今回ばかりは悪い予感に繋がった。古くからのファンほど、恐らくそうだったのではなかろうか?

2か月ほど誰もが沈黙を守った後、リアムがまずラジオや新聞などで、オアシスが〈終わった〉ことやノエルへの怒り、そしてノエルを除いたメンバー+サポート・メンバーの全員と共に活動を続けると公表。一方ノエルは、3月に恒例の〈ティーンエイジ・キャンサー・トラスト〉にて二晩に渡ってソロ・ライヴを披露。このライヴにはゲム・アーチャー(ギター)やオアシスのサポート・メンバーも参加していたため雪解けも期待されたが、しかし直後に、最後のリリース作品としてシングル・コンピレーションの『Time Flies... 1994-2009』を出すと発表。オアシスは、本当に終わったことになる。

 

 

ともあれ、慣れてダレて、パンクの棘もロックンロールの魂も喪失した末に終わるような、惨めな終焉でなくて本当に良かった。どれほど黄金の旋律とガナリ声を響かせ、ケンカに勝ち続け、シーンの頂点に君臨しようと、分別を弁えた中年になろうとも、このバンドは兄弟ゲンカですべてがフイになるかもしれぬという儚さを常に宿していた。そして、その不条理さこそが、期せずしてオアシスのロックンロールが放った魅力とイコールだったことを、いまとなって改めて実感する。

つまり、ノエル・ギャラガーの生み出す音楽のなかに、時期によって形を変えながら宿り続けたセンティメンタリズムの燃料は、他ならぬ彼自身のバックグラウンドにも由来するこの世の不条理さへの目線と、批評精神と、それゆえの諦めだった。セックス・ピストルズに衝撃を受け、その後13歳でギターを手にしたノエルにとって、音楽は不条理な現実からの逃避手段だった。酒乱の父親が振るう暴力から母親を守り、その母親の目線は手のかかる甘えん坊の弟に注がれる。保守党政権による当時のサッチャリズムはワーキングクラスの若者から未来への希望を奪い、そんななかでも学力さえつければ次へのステップが見えたものを、学校は中退。金にならぬ仕事をしつつ、それでもコードを3つ覚えて〈俺には音楽がある〉と曲を作り続けたこの男の闇は、深かった。

解散ではなく〈脱退〉を最終的に彼が選んだのも、ノエルにとって音楽、ひいてはバンド活動が希望と逃避という居心地の良い場所の象徴だったことを思うと、おのずと納得がいく。そして、この世の不条理さが容易に雲散霧消するものではないからこそ、オアシスはそこから一瞬で逃避する方法を奏で続けたわけだ。時には〈今夜、俺はロックンロール・スター〉を代表格とする妄想の魔法で、また時には誰もが我を忘れて大合唱できる、〈歌える曲〉としてのメロディーで。

 

何度も訪れた危機

 

 

そして、あまり声高に語られることこそないが、〈サイケデリック〉も一貫して隠れたオアシスの不条理逃避方法のキーワードだ。デビュー・シングル“Supersonic”のB面ですでに“Columbia”というサイケデリック曲を作っていたオアシスだが、後期の彼らは特に、すべてを黄金色のサイケデリアで包み込むギター・サウンドや強いグルーヴ感にこだわっていたフシがある。2000年の4作目『Standing On The Shoulder Of Giants』以降特に顕著になり、それと同時に旧来の〈メロディーをいっしょに歌いたかった〉タイプのファンが少し距離を置く原因にもなったオアシス・サイケとは、実は、巨大になったバンドがさらにそこから先へと歩を進める勇敢さの象徴でもあった。そう考えると、皮肉な話でもある。

一方で、オアシスがバンドとして常に不条理に直面し続けた根拠として、たび重なるメンバー交代がある。もともとオアシスには、ボーンヘッドやギグジーらが作っていたレインというバンドに、91年にリアムがまず加入してオアシスへと名前を変更、そしてその後にノエルが参加した、という誕生の経緯があった。ところが、「俺にすべてのリーダーシップを委ねること」を条件にノエルが参加し、彼の曲をやりだした結果として、93年にはクリエイションと契約、94年にはデビュー曲“Supersonic”をリリースして瞬く間にスターダムの頂点に駆け上るという、破格の成功を収めてしまった。当時の彼らはそれはそれは楽しそうに、暴言上等、ケンカ&出入り禁止はお約束、なぜなら俺たちは良い音楽を作っているから、というシンプルな場所で生きていられた。

しかし、95年には初代ドラマーのトニー・マッキャロルを〈実力不足〉を理由に解雇、替わりにアラン・ホワイトが加入したあたりから、無邪気だった時代は終わりを迎えはじめる。以前ノエルにインタヴューをした際、彼はもしタイムマシンがあったら「〈ネブワース〉が終わった頃に行って、〈お前、ちょっと休め〉と言ってやりたい」と話していた。だが、96年8月に当時の野外ライヴの動員記録を更新したネブワースでの2日間大ライヴの後、9月のアメリカ・ツアーではじめて解散に繋がる大喧嘩が勃発、ノエルが緊急帰国をする事態に。もしかしたら、一度手にした成功を失うことへの恐怖もあったのか……バンドはそのままサード・アルバムの制作に入り、97年8月には『Be Here Now』を完成。何かに憑かれたかのように働き続け、ノエルには疲労もたまり、成功ゆえにもはや無邪気な幼馴染み&兄弟のバンドではいられなくなったという不条理は、99年8月のボーンヘッドとギグジーの相次ぐ脱退へと繋がっていく。ノエルが常に〈オアシス最大の危機〉と振り返っていたのはこの時だ。

 

オアシスは変わらなかった

 

ゲムとアンディ・ベル(ベース)という実力派を迎えた再編成でオアシスは進み続けたが、ここから先のオアシスは、あきらかに変わった。腕のあるミュージシャンが揃ったからこそ、そのサウンドはテクニックに裏打ちされた重厚感を伴うようになっていったのだ。理由も言わず去っていったボーンヘッドとギグジーへの想いが、それを塗り替える〈ニュー・オアシス〉の創造へとノエルを駆り立てたのだろうか。しかし2004年1月には、温厚な人柄でバンドのムードメイカー的な役割を果たしていたアラン・ホワイトも脱退。バンドのミーティングをすっぽかしてバカンスに行っていたための解雇、というのが真相のようだ。この後、オアシスは正式メンバーとしてドラマーを据えていない。オアシスはいつの間にか、人間関係がもたらすユニークなケミストリーよりも、演奏力と音楽性によって生まれる〈スタイル〉が前面に出てくるようになっていったのかもしれない。ノエルは──自分がすべての権限を握りながらも──音楽における魂や衝動という、自分がかつて心動かされた部分がバンドから減少していくことに、気付いていなかったわけがないだろう。ゆえに、6枚目のアルバム『Don't Believe The Truth』(2004年)で一旦、初期オアシスを思わせる軽やかな質感やリズムへと回帰していたことにも、おのずと線が見えてくる。

信じる道を進み続けるがゆえに、不条理に不条理が重なっていく。その閉塞感を誰より敏感に感じ取っていたのがノエルだろうし、兄弟ゲンカが直接の原因とはいえ、その下地はすでに出来上がっていたと見たほうが、辻褄が合う。加えて、労働党が政権交代をする際とほぼ時を同じくして天下を獲り、そして保守党へとふたたび政権が戻るタイミングで、最後の作品をリリースするというこのバンドの歩みは、オアシスが時代における〈役割〉を終えたことの暗喩のようでもある。

オアシスは、終わるべくして終わった。その潔さも含め、最後までオアシスだった。時代ともっともかけ離れた場所で好き勝手にやっているようで、実は人々の想いを背負っていたからこそ、彼らは時代の変わり目に姿を消した。最後のリリースとなる『Time Flies... 1994-2009』のジャケットが、2日間で25万人を記録したお客さんたちの姿だというのもまた、オアシスがその時代を生きる〈人々の〉バンドだったことを、彼ら自身が納得して存在していたことの証なのかもしれない。そしてそれもまた、オアシスならではの美しき不条理である。

 

▼オアシスの編集盤を紹介。

左から、シングルのカップリング曲集『The Masterplan』(Creation)、ライヴ盤『Familiar To Millions』、ベスト盤『Stop The Clocks』(共にBig Brother/Epic)

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