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INTERVIEW――難波章浩

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2010年02月24日 18:29

更新: 2010年03月03日 18:35

インタヴュー・文/柴 那典

 

難波章浩_A1

 

今回は自分の音。そこに100%自信がある。

 

――元気が出るアルバムだな、というのが第一印象です。

「嬉しいです」

――サウンドのスタイルよりも、まず歌とメロディーがストレートに伝わってくるアルバムだと思いました。難波さんは、完成した時にどういう実感がありました?

「とにかく嬉しかったですね。ハイスタ以降、ULTRA BRAiN以降、この10年間ずっと自分のなかに音楽が生まれていたんで、それをアウトプットできたことがやっぱりいちばんの喜びでした。自分にとっては最高の作品が出来たと思ってます。とにかく歌いましたからね、今回は。思いっきり歌えたことが本当に楽しかった」

――その〈歌う〉という行為は、逆に言うといままで避けていたんでしょうか?

「いや、避けてたっていうわけじゃなくてね。これまでの過程ではトラックを作ることに集中してたんですよ。パソコンを使って、打ち込みで自分でトラックを作る。まずはそこに集中しないといけなかった。ずっとパソコンの前に向かってると、〈歌う〉ということは作業として別次元に感じられるんですよね。だから今回は、思いっきり自分の声を乗せられるトラックがやっと完成したという感じかな。トラックメイカーとして理想の難波章浩が完成したので、やっと歌えたという。歌うことをとっておいたという感じかな」

――今回は〈難波章浩〉という名義ですよね。TYUNKやULTRA BRAiNでやっていたこととの位置付けの違いはどういうところでしょうか?

「一言で言えば、自分の音だということですね。そこに100%自信がある。いままでのTYUNKやULTRA BRAiNというのは、やっぱり途中経過だったんだと思う。自分の名前で打ち出すことには、やっぱりいろんな葛藤があったんです。すべての責任を負うわけだし、100%自分だということを打ち出すわけだから。個人名でやってる方はたくさんいますけど、やっぱり僕の場合は過程がちょっと違うと思うんですよ。バンドマンでフロントマンだったというところから、またバンドを作って、バンド編成でライヴや制作をしていくという方々とは違うんですよね。スタジオワークがやっぱり日常になってきていて、その作業が僕の音楽の核になっているわけですから」

 

 

難波章浩_A3

 

解放されたところを出したかった

 

――そもそも10年前、自分でスタジオを作り、打ち込みで音楽を制作するというところから難波さん個人の活動がスタートしたわけですよね。そこの理由はどういうところにあったんでしょうか?

「これからドラマーなりギタリストなり、キーボード・プレイヤーなりを入れていくヴィジョンはあるんです。この先にバンドになるヴィジョンはある。でも最初は、とことんまで自分でできるところまでやってみようという気持ちがあったんですよね。それが大前提にあったから、パソコンで打ち込みを覚えることもできたと思うんです。音楽を作る時に、いろんな人のアイデアをもらっちゃうと、それに頼っちゃうから。できるだけ自分でギターやシンセを弾いて、ドラムも打ち込む。打ち込みとは言っても自分のなかのビートを鳴らしているわけだし、細かいところまで作ってるんです。そうやることで自分の音楽をとことんまで追求できた。それはやってみて良かったと思いますね」

――では、今回のアルバムを作るにあたって、どういう作品が相応しいと思ったんでしょう? 自分のなかのどういう部分を打ち出していくのがいちばん大事だと思いました?

「そうだなあ、解放されたところを出したかったですね。この10年いろんなことを考えてきたんですけれど、いつまでも前のことを振り返っていてはいけないと思って。前を向いて、自分の足で立っていく。今回は、そういうところを凝縮したかったですね」

 

日記をつけるように音楽を作っていけた

 

――沖縄に移住してスタジオを建ててからの10年って、自分にとってはどういう時間だったというふうに思います?

「まず、とにかく自分の家のなかで作業できるんですよ。ひらめいたら、その音楽を記録することができる。スタジオを予約して、何時から何時までって作業するわけじゃない。常に音楽といっしょにいられる環境なんですね。その間に子供も生まれたし、子供の成長を見ながら音楽を作れる。とにかく日常をおさめられるようになったというのが大きかったですね。日記をつけるように、絵を描く人がアトリエで絵を描くように音楽を作っていけたと思います」

――でも、難波さんのユニークなところって、そうやって音楽との向き合い方はオーガニックになっていくのと同時に、手法としてはテクノやエレクトロになっていったわけですよね。一般的なイメージでは、アコースティックな弾き語りで生活と密着した音楽を奏でる、というようなものは多いですけれど。

「いや、それもありましたよ。アコギを一本東京で買ってから沖縄に行ったんです。でも、自分のめざすところまで行けるかどうかわからなかったんです。いま、こうやって語っている自分がいるかどうかもわからなかった。自分ではこういう音楽を作りたいんだけど、できるかどうかわからない。でも、とにかくやってみようということだったんで。アコギを持って行ったのは、奥田民生さんのようなあり方が良いなと思ったのもあったんですよね。〈ひとり股旅〉を観に行って、すげえなって思って。でも、当時はギターも得意じゃなかったんです。弾くのも中学生以来だったし。そこからやっと聴かせられるところまではきたかなって感じです」

 

20代はハイスタで突っ走ってたから、何もわからなかった

 

難波章浩_A2――本当にゼロからのスタートだったわけですね。

「なんでもやってやろうとは思ってましたよ。とにかく、20代はハイスタで突っ走ってたわけですよ。全力で突っ走ってきて、本当にバンドしかやってなかった。だから何にもわからなかったんですよね。世の中のことも。そこから家族が出来て、守るものも出来て。いろんなことをやってみようと思ったんです。そこからまずはスタジオを手作りして。大工仕事も覚えて、ヘルメットをかぶって地下足袋はいてやってたんですよ。それを3年やって、機材も入れていって。そのなかでテクノやクラブ・ミュージックも奥が深いということを知って。そこを追求したいと思ったんです」

――そういうテクノやエレクトリック・ミュージックは、自分の感覚にどういうふうにフィットしてたんでしょう?

「ヨーロッパのほうでは僕のイメージする理想のバンドやアーティストがたくさんいたんですよね。エレクトロを採り入れて、ギターやベースも入れて歌っているというスタイル。できるだけこういうふうになりたいなというところはありましたね。その人たちに勇気づけられたというか」

――例えばハドーケン!みたいな?

「そうですね。ロックな感じのアーティストが沢山いるじゃないですか。もちろんケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムやアンダーワールドも好きで。その人たちのライヴを観て、感動したところもあって。そのインパクトは忘れられなかったですね。こういう音を出せたらヤバイだろうなって思って」

――そういう刺激はどういうふうに自分に蓄積されていった感じなんでしょう? 作品を作るごとにサウンドとしても洗練されていっていると思うんですけれど。

「とにかく好きなことを追い求めてる時って、楽しいからやっちゃうんですよね。ああ、こういう音が作れるんだ、ヤバイなあって。最初に沖縄に行った時には、パソコンも持っていなかったんですよ。それくらいデジタルは苦手な人間だったんです。オーディオの配線もできないくらいの人間だった。でも、デジタル関係に強いパートナーがついてきてくれて、僕にディレクションしてくれて。ただ、ミュージシャンではなかったので、言ってみたら一人なんですよね。一人になっちゃったんですよ。それでも音楽は出てきちゃうんですよね。ベースを弾いたり、ギターを弾いたり、歌ったりしていると、ものすごいフレーズが出てくる。これを世の中に出したらヤバイだろうなってアイデアが浮かんでくるんです。それをそのままにして忘れちゃうのは、ものすごく辛いんですよね。だからとにかくそれを収められるようにはなろうと。フレーズを記録して、自分で管理して、データを整理して、ファイルしていく。そういうことを覚えることによって、浮かんだら録るということを繰り返してきて。いまでは莫大な量の音の原石がストックされているんですよね」

 

できるだけ幅広い層に届くように心掛けた

 

――ただ、クラブ・ミュージックとかDJカルチャーには、スノビズムのようなものもあるじゃないですか。難波さんのやられていることは、そういうところにアプローチしようとしているロック系のアーティストとは一線を画してますよね。

「うん、そうかもしれないですね」

――もっとピュアな〈こういう音を鳴らしたら気持ち良いから鳴らしている〉という欲求と結び付いたものとして音楽が出来ている感じがするんです。

「そうとも言えるかもしれないな。最近ではダブ・ステップとかテック・ハウスも好きでよく聴いてるんですよ。それでも、そういう音をなぞって作るんじゃ僕らしくないと思うんで。スタジオワークをやっているとミニマルになりがちなんだけど、そこをオープンに、外に向けて、みんなで踊ったり歌ったりして、共有してくれるような映像を思い浮かべながら作りましたね。とにかくみんなの顔を浮かべながら作ったというか」

――その〈みんな〉というのは子供から老人くらいの幅広いイメージでした?

「そうですね。僕の子供が、今回の作品をめちゃくちゃ好きだって言ってくれるんですよ。それくらい、子供にも聴いてもらいたい作品で。子供でも大人でも音楽を好きだと思う心は変わらないと思うから。僕の母親は65歳になるけど〈良いわね〉って言ってくれるし。できるだけ幅広い層に届くように作る、ということを心掛けました。特定のジャンルを好きな人たちに聴いてもらいたいという意識ではまったく作ってないですね」

 

難波章浩_A4

 

音楽はものすごい威力を持って人の心をハッピーにすることができる

 

――アルバムのなかで言うと、最初に出来た曲はどれになるんでしょう?

「去年の1月に新潟に移住してスタジオを作ったんですけれど。全曲、沖縄でデモを作っていたものなんです。どれが先っていうのもないかな。全体的にこねてきたものなんで」

――曲のモチーフがストックとしてたくさんあって。そこから選んで構成していったという?

「そうそう。今回のアルバムの打ち出しにはどれが良いかを考えて選んだ10曲なんですね。13曲くらい入れようかなとも思ったんだけれど、パンク・ロックのアルバムみたいな感覚で聴けるものにしたかった。曲を一つのポップ・チューンとして3~4分にまとめたものを40分くらいで聴かせたかったんですよ。これだけのことができるって言って詰め込みすぎちゃうよりもね」

――では、この10曲のなかでキーになった楽曲は?

「“メロディアスレボリューション”かな」

――この曲は歌詞がすごくストレートですね。

「そうそう。僕には音楽しかないと思う、という歌ですね。音楽はものすごい威力を持って人の心をハッピーにすることができる。音楽は、いろんなことを伝達することができるものだと思うんです。僕は、音楽をみんなとコミュニケーションをとる媒介、ツールとして最大の表現方法だと捉えているんです。だから音楽をやっていて良かったなと思いますね」

――やっぱりピュアネスというのが原動力にあったわけですね。

「まったくもってそうですね。僕が過去に何をやっていたかじゃなくて、いまの僕を聴いてもらって、それで感じてもらいたいから。いまの難波章浩はこうです、というものをみんなに聴いてもらえる作品を作れたと思いますね」

 

健とツネを見て、〈ハイスタの人だ!〉って。ファンになっちゃってました

 

――ちなみに、今回はゲストにも横山健さん、恒岡章さんが参加されていますけれど。これはフラットにお願いして来ていただいたというような参加だったんでしょうか?

「そうですね。ハイスタが活動止まった理由なんかはもう忘れちゃうくらい時が経っているので。やっぱり横山も恒岡も、いまを生きていて思いっきり音楽をやっているんですよ。僕もやっとここまで音楽をやれるようになったから、力を貸してくれというところで。僕が沖縄に行ってから、この10年、みんなバリバリ最先端でステージに立ってきたと思うので、そのエネルギーが欲しかったのかな」

――“JUMP!JUMP!!JUMP!!!”でも“WAITING FOR YOU”でも、2人の演奏がいまの難波章浩という表現のフォーマットのなかですごくいい化学反応を起こしているという印象があったんですけれど。実際録音していた時の状況はどうでした?

「それはもう、興奮ですよ。言うなれば、ちょっとファンになっちゃってましたね、その時は。〈あ、ホンモノだ!〉って思いました(笑)。健とツネを見て、〈ハイスタの人だ!〉って。それくらい、すげえなって思いました。自分がプロデューサー側にまわって指示してる感じとか、贅沢だなっていう気持ちでしたね」

―― 一方で“ロックイット”ではハーツレヴォリューションのLOが参加していますけれど。これはどういう繋がりだったんですか?

「これは何の繋がりもなくて、単に僕がファンだったんです。それで〈サマソニ〉を観に行ったら楽屋に呼んでくれて。いまアルバム作っていて、そこで歌ってほしいんだよね、って言ったら〈喜んで〉って言ってくれて。そこからはデータのやり取りで、僕がトラック送って、録音してもらったものを僕がミックスしたという。海外まで自分の音楽を送って、それにヴォーカルが乗って返ってくる。それを自分が操作できているという感覚は素晴らしかったですね」

 

難波章浩_A5

 

〈俺もなんかやろう〉と思ってもらえれば良い

 

――アルバムの構成としては、前半にエネルギッシュな曲が続いて、“ハカイせよ”という曲が一つのアクセントになって、後半にはセンティメンタルな曲が並ぶという構成になっていますけれど。これはどういう組み立てなんでしょう?

「そうですね。まずはみんなに解放された気持ちになってもらいたかったんです。そのほうがメッセージが届きやすいと思ったし。“ハカイせよ”というのは、全部ぶっ壊せと言ってるんじゃなくて、いろんな局面で自分の殻を突破しようというメッセージもあるんです。それと、世界中に大変な戦争があって、戦争に送り込まれている人たちは自分が悪いのかどうかわからないわけですよね。〈破壊せよ〉という指令を受けて戦場に送り込まれるっていう、それって何なんだろう?って。そこをできるだけ、感情論にならないように歌ったんです」

――“DON’T GIVE UP ON YOUR LIFE”の、日常に帰っていくような終わり方も良いですよね。

「このアルバムは、繰り返し聴いてもらいたいですからね。できるだけ〈もう一回聴こう〉ってなったら良いなと思う。パッケージとしてトータルで聴いてもらえれば最高ですね。いまでは携帯プレイヤーとかで1曲ずつ聴くじゃないですか。それはもちろん肯定してるんですけれど、トータルで聴いてもらえれば良いと思うんです」

――難波さんとしては、聴き終わった時にどういうものが聴き手に残ってほしいと思います?

「〈俺もなんかやろう〉と思ってもらえれば良いかな。新しいことを始めてみようかな、とか。日々の生活に火が点くような感じがあれば良いな、と思います」

 

もう僕は、逃げも隠れもしませんから

 

難波章浩_A6――『THE WORLD iS YOURS!』というタイトルもそういうところと繋がってそうな気がしますけれど。この由来はどんなところにあったんでしょうか。

「これはやっぱり沖縄なんですよね。海も太陽も綺麗で、月がすごく近くて大きくて、本当に、自分が地球の上にいると思えたんですよ。日常をそういう感覚で生きてきたから。そんな自然のなかでデジタルな音楽をやってたんですよね。そうしたら、世界というのは、すべて生まれた時から自分のものなんじゃないかと思ったんですよね。みんながそう思えたら良いなと思った。その感覚をタイトルにしようと思ったんです。そう思えたからここまで来れたんだと思うし。いまの若い人のなかには、行き場所がわからなくなっちゃっている人も沢山いるみたいなんだけど、視点を変えて、何かをやらされてるわけじゃない、自分でチョイスしてるんだって思ったら、日々やらなきゃいけないこともこなして、楽しいことも沢山できる。そういう感覚になってもらいたいと思うんです」

――では、最後に。このアルバムを経て、いまの時点でこの先に向かうべき方向をどういうふうにイメージしていますか?

「自分から出てくる感覚を素直に打ち出していこうと思いますね。あんまりいろんなことは考えずに、自分の音楽を追求していくだけかな。いきなりアコースティックになるかもしれないし。どういうふうにいくかは、わからないですよ。次はどうなるんだろう?ってみんなが思ってくれるのは嬉しいけれど、それは自分では想定しないようにしようと思ってます」

――全然違うものが出てくるかもしれないという。

「そうですね。いきなり全編アコースティック・エレクトロニカみたいになるかもしれないし。ベックの『Mutations』みたいに。10分くらいの曲が出てくるかもしれないし。できるだけ作ったものは、あったかいうちに出していこうと思いますね。風通しは良くしていきたい。もう始まっちゃいましたからね。難波章浩って打ち出したわけだから」

――別の名義を作るってことはなさそうですね。

「ないですね。難波章浩で行きます。もう僕は、逃げも隠れもしませんから」

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