中島ノブユキと ミシェル・シオン(2)
カテゴリ : Exotic Grammar
掲載: 2010年02月20日 20:11
更新: 2010年02月23日 19:04
ソース: intoxicate vol.84 (2010年2月20日発行)
昨2009年11月、『SOUND CONTIN-UUM 2009/21世紀の録音文化と音響アーカイブに関する国際シンポジウム』が東京藝術大学大学院映像研究科の主催でおこなわれた。ブラザース・クエイの音響担当として知られるラリー・サイダー(元英国立映画テレビ大学院NFTS ポストプロダクション所長)は、映画制作において音響がどのように重要かを学ぶ体制をイギリスでつくった話を、リチャード・ランフト(国際会議School of Soundディレクター/英国立図書館サウンドアーカイブ部門所長)は、貴重な実例を引きながら、音の記録/録音の歴史をめぐる話を、してくれた。
プレゼンテーターのなかにはミシェル・シオンがいた。邦訳もある『映画にとって音とはなにか、』『映画の音楽』の著者である。先に引いた〈スクリーン内音楽〉〈オーケストラ・ピットの音楽〉を著書のなかで提示もしている。今回はじめての来日で、自らミュージック・コンクレート作品をライヴで操作し、講演を、対話をおこなった。
藝大のご好意でシオン氏を早稲田大学に招き公開でインタヴューをおこなったのだったが、そこでの発言を二つほど引いてみよう───
「『音楽のフレームは時間にある』───私はいつもそう言っています。最初から最後まで、それが絵画のフレームにあたるものだ、ということです。もうひとつ、私の音楽に必要なもの、それは沈黙です。はじめにお聴きいただいた曲の最初の方では、音が聴こえないところがあります。私の音楽はいまの趨向に逆行しているかもしれませんが、それが好きなのです。/映画は観客に静かな時間を提供することができます。映画のなかでは、誰かの物語を追うことになりますが、そのなかで親密な時間が生じます。ところがそれを音楽に置き換えてみると難しい。音楽は音を大きくしたり小さくしたりしますから。私の音楽は時代の趨勢に反しているかもしれませんが、30年後に聴くとそうでもないかもしれません。『すごくモダンだったんだね』と言われるかもしれない(笑)」
「映画科の学生を相手に音響についての講義をしているのですが、たとえばこちらが30秒話すと、彼らはすぐに話したり動き始めたりして、いつも「静かに!聞きなさい!」と言わなくてはなりません。それはひとつのテクニックだし、規律でもあります。それがなければ、何かを理解することはできない。/動かないで聴いてもらうテクニックとは、ほかのテクニックとおなじ次元で考えられます。テクニックとは決して自然なものではありませんし、動かないで聴くというのも自然なことではありませんが、そういうことで言えば、ピアノを弾くことも自然なことではないわけです。二つの手の動きを知覚するというのも一つの束縛です。最初それは面白くないし、快感ではないけれども、そうした過程を通して、歓びに変わっていきます。動かないで聴くことも一つのテクニックであり、そうしたことを通じてはじめて音楽の歓びが得られるのです。それはアートのテクニックにおいて必要なことです」
以上を含め、インタヴュー全文はそうとおくないうちに『みすず』誌に掲載される予定なので、興味をもたれた方は手にとっていただければと思う。
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