INTERVIEW――UNCHAIN
パンクの疾走感とソウル・ミュージックの豊穣さを絶妙に融合した独自の〈グルーヴ・ロック〉を生み出してきたUNCHAIN。メジャー・デビューから3年、彼らはよりタフなロック・バンドへと成長してきた。みずからの想いをストレートに伝えるために日本語詞にトライし、ライヴ活動における切磋琢磨をとおして骨太なサウンドの基盤を鍛えてきた。多彩なセンスとしなやかな音楽性で高い評価を集めてきた彼らだが、いよいよその真価を示す時が来た感がある。ニュー・シングル“The World Is Yours”は、鋭角的なギター・リフと変拍子を活かした迫力溢れるナンバー。カップリングには10代の頃に影響を受けたというREACH“TAKES ME BACK”のカヴァーや、過去曲“myself”のリアレンジも収録。さらにはインディー時代の2枚のミニ・アルバムをパッケージしたアルバム『the early years』も同発される。サード・アルバムに向け、バンドの〈初期衝動〉を見つめ直すことで新たな進化をめざしているUNCHAINの現在地点を知るべく、今回は谷川正憲(ヴォーカル/ギター)に改めて彼らの歩みを振り返ってもらった。
オリジナリティーのある斬新な音楽を求めていた
――まずはバンドを始めた頃の話から。90年代のメロコアやパンクに影響を受けてバンドを始めたということですけれども、どういうところに惹かれたんでしょう?
「田舎の高校だったんで、誰かが聴いてる音楽が一瞬にして学校中に広まるんですよね。ハイスタ(Hi-STANDARD)もそういう感じで、ほぼ全員聴いてたんじゃないかな。ドラムの吉田(昇吾)君が先輩とバンドをやってて、そこでカヴァーしてたのがハイスタで、一気に学校中がハイスタ一色になって。僕らもライヴをやったんですけれど、みんなが聴いてる曲をやらないと盛り上がってくれないという感じでしたから」
――メンバー全員が同級生なんですよね。スタートとしては学園祭バンド的なものだった?
「はい。学園祭には出てないですけど、最初はその時にみんなで盛り上がる曲をやって、女の子にモテればいいかなっていうくらいで」
――いまのUNCHAINになるイメージはなかったですよね?
「まったくないですね。オリジナルの曲を作りはじめたのは高校2年生頃なんですけど、ライヴではほとんどやることはなくて。REACHとかクラッシュのコピーを自分たちの好き勝手にアレンジして満足していたんで。でもREACHを聴くようになってから、いままで聴いてきたのとは全然違うメロコアだと思って、すごく衝撃を受けたんですよね。その頃ちょうど、オリジナリティーのある斬新な音楽を求めていたんで」
――REACHの新しさはどういうところに感じたんでしょう?
「当時は全然気付かなかったんですけれど。今回カヴァーするにあたってもう一度聴いて、10年前と同じくらいびっくりさせてもらったんです。攻撃的な音楽性もありますけれど、音楽が一杯入り混じっている感じが好きだったと思うんですよね」
――本格的にバンドで勝負していこうと思ったのはいつ頃のことだったんですか?
「僕自身は中学の頃から音楽一筋でずっとやりたいと思ってたんです。それでとりあえず大阪に出ようと決めていて。〈みんなはどうする?〉と話した時に、みんな〈俺もついていく〉と言ってくれて。それで大阪に出てきてからですね」
UNCHAINを始めた頃は、本当にブラックになりたかった
――UNCHAINというバンドのルーツにはパンク・ロックがありますけれど、一方でブラック・ミュージックの要素も強いですよね。その起点はどういうところにありました?
「ブラック・ミュージックが好きになったのは大阪に行ってからですね。最初に3コードのブルースを知って、単純におもしろいなと思って。そこからブラック・ミュージックを聴くようになっていったんです。スティーヴィー・ワンダーは高校の頃から知っていましたけれど、改めてこんなにすごい人だったんだと思って。それで大好きになりましたね。その頃はブラック・ミュージックのグルーヴやリズムが大好物になって、ロックをまったく聴かなくなってたんですよ。でもバンドとしてはメロコアをやって」
――例えば、ソウルやファンクをそのままやろうとは思ったりしなかったんですか?
「それはUNCHAINと違うバンドでやったりしてました。でも、同時に高校時代に好きだったREACHの存在も大きくて。斬新なものを求めたいという思いはずっと続いてたんです。UNCHAINでは、ソウル・ミュージックをロックに混ぜてみたらどうなるだろうとか、ボサノヴァっぽいものをしたいとか、それが歪んでロックになったりしたらおもしろいんじゃないかとか、そういう考え方だったんですよね」
――バンドの土台にはパンク・ロックがあったわけですよね。そこにソウルやフュージョンやボサノヴァを融合させるアイデアはどういうふうに浮かんだんでしょう?
「いちばん最初にやってみたのが、ボサノヴァのリズムでメロディーを歌って、急にシャッフルになるという曲で。それがメジャー1枚目のミニ・アルバム『departure』に入っている“one word”という曲の原曲なんですけれど。ライヴでの反応も良かったし、自分でも手応えがありましたね。でも、理想としてはブラックのグルーヴそのものを出したかったんです。それをめざしたんですけれど、難しくて」
――アフリカン・アメリカンの身体能力にはかなわないというような意識もありました?
「UNCHAINを始めた頃は、僕は本当にブラックになりたかったですね。それに、なれると信じてました。しっかりブラックのグルーヴを出せて、それにロックが混ざるというのが理想でしたね。でもブラック・ミュージックをめざして曲を作ったり、スティーヴィー・ワンダーの真似して歌を歌ったりするたびに、日本人では到達できないものがあると痛感して。それで、たとえブラックのノリが出なくても、ソウルとロックをミックスすることによっておもしろいことができると思ったんですよね。それならUNCHAINのメンバーで音楽としてやっていけると思ったし、新しいものができるんじゃないかなと思ってました」
――インディー時代のファースト・ミニ・アルバム『the space of the sense』は、1枚目の作品としては驚くほどの完成度の高さがあったし、洗練された作品だと思うんです。このアルバムはどういう作り方をしていたんでしょう?
「まず1枚目は佐藤(将文:ギター/コーラス)君が入って間もなくて。アレンジにしてもフレーズにしても僕が口を出さなかったところがないくらい、僕の色が強いんですよ。一人でやっているような感じでしたね。難しいことをしているのに歌が引き立っているということを意識して。歌を邪魔しないんだけれど、すごくおもしろいことをしているように、フレーズとかキメとかをガチガチに決めて。一音でもズレたらダメだという作り方をしてました」
――完璧主義的な作り方をしていたんですね。
「そうですね。でもすぐに、ガチガチすぎて遊びがないなと思って。それがイヤで、4人の意見を採り入れて次のミニ・アルバムを作ったんです。当時は、一人でやっている感じもイヤだったし。みんなのやりたいことを詰め込んで、セッション的な部分もあったほうがいいと思って。そう思って出来たのがセカンド・ミニ・アルバム『The Music Humanized Is Here』で。でも、いま聴き返してみると、いろんなことを詰め込みすぎてトゥー・マッチな感じだなとは思いますけど」
――その後メジャーになって、まず環境は変わりましたよね。それは音楽にどういう影響を与えました?
「いちばん変わったのは制作の期間ですね。いつまでに仕上げなきゃいけないというプレッシャーは段違いで。でも作り方自体は全然変わらずにやらせてもらってました」
伝えたいという思いで、新たな挑戦が始まった
――では、メジャーからの最初のフル・アルバムとなった『rapture』をいまの時点から振り返ると、どんな位置付けの一枚だと思いますか?
「UNCHAINの個性がすごく出ていた一枚、バンドをよく表していた一枚だと思いますね。インディー時代からの曲もリアレンジして入っているということで、UNCHAINというバンドがわかりやすい一枚だと思います」
――それまでの集大成だったわけですよね。でも、それを形にすると、また新たな欲が目覚めてくるとも思うんです。この頃から音楽で何を伝えるかということに意識的になってきた気がするんですけれども。どうでしょう?
「そうですね。特に当時、僕たちはライヴに課題があると思っていて。せっかく作った楽曲をライヴで存分に表現できないという。それで〈伝えたい〉という思いがどんどん強くなっていきましたね。やっぱり、UNCHAINの武器の一つは歌だし、それで日本語に挑戦するということも決まって。伝えたいという思いで、新たな挑戦が始まったという感じですね」
――日本語で歌うということによって、ソウル・ミュージックへの解釈と、それをどう表現するかということも変わってきたと思うんですけれども。そういう葛藤はありました?
「ソウル・ミュージックそのものをやるんだったら、日本語で歌うという選択肢はなかったと思うんです。でも、ソウル・ミュージックってブラックじゃなくてもできるんじゃないかな、自分たちなりに表現できるものがあるんじゃないかと思った。僕は日本人だから、自分の言葉で思いを伝えるということで、僕だけのソウル・ミュージックになるんじゃないか、という考え方になってきたんじゃないかな」
――日本語詞を導入することで見えてきたことはありました?
「日本語で歌うということで、より自分を曝け出せるようになってきたんです。ステージの上でいかに自分自身を曝け出すことができるか。やっぱりお客さんが求めているのはそういうことだと思って。英語か日本語かということじゃなく、いかに自分の生き様を見せているかどうか。そういうところを見ているんだなあということがわかってきましたね
――メロディーも変わりましたよね。日本語で歌うことによって、歌謡性を持ったメロディーも乗るようになった。
「そうですね。それまではメロディーも洋楽っぽいものじゃないとイヤだし、そうじゃないとUNCHAINではないと思ってたんですけれど、でも、日本語で歌ってもUNCHAIN独自のものとして成り立つということがわかったんで」
――セカンド・アルバム『Music is the key』は音楽性の幅が大きく広がった一枚だと思うんです。あのアルバムを作った時にはどういう思いがあったんでしょう?
「もともと、いろんなジャンルの音楽をUNCHAINのものとして表現したいという思いがあって。『Music is the key』では日本語で歌ったことでジャパニーズ・ロック的な部分も表現することができたし、それと同時にアルバムには“Tonight's The Night”のような70年代ソウル風の曲も同時に入っている。それが一つのアルバムになるのはいいことなんじゃないかと思って作ったんですよね」
――いまの視点から振り返ると、『Music is the key』はどういう意味合いを持ったアルバムだと思います?
「このアルバムを作ることによって、バンドの基礎が固まったと思うんですね。バンドとして勝負できる土台ができたような気がした。各方面のジャンルを自分たちのものとしてまとめることのできる技術、それをライヴでも曝け出せるようになったという精神性、そういう土台が固まったと思います。でも、作り終えた後には、その土台の上に立つ自我がまだ足りないんじゃないかと思ったんですよ。その個性を“Gravity”以降に考えるようになったんです。比べると、『rapture』や『The Space Of The Sense』ではそういう自我が出ていて。ロックじゃない要素をおもしろい形でロックとして表現できる。そういうものを『Music is the key』で固まった土台の上に立たせることで、新しいUNCHAINが作り上げられるんじゃないか――そういうことで、“Gravity”とか“The World Is Yours”を作ったんです」
技術面よりも、熱さを伝えられるかどうかが勝負だと思った
――“Gravity”や“The World Is Yours”を聴いて感じるのは、勢いや荒々しさ、衝動やエネルギーの部分だったんですけれども。それは原点回帰的な感じだったんでしょうか? それとも新しい試みでした?
「その両方ですね。原点回帰によって新しい方向に行くという。“Gravity”は特に東京に上京する時と重なっていて。京都の田舎から大阪に行く時と同じような気持ちもしていましたね」
――同時に、先ほど言ったような、曝け出していきたい、生々しいコミュニケーションを取っていきたいという意識が芽生えてきたわけですよね。それにはどういうきっかけがあったんでしょう?
「それは『Music is the key』を作ってツアーに出るタイミングですね。ジャンルが幅広いからこそライヴで表現するのは難しいだろうと思っていたし。伝えるという思い、自分を曝け出すということでそれがクリアできるという思いでツアーを始めたんですよ。去年は技術面よりも、熱さを伝えられるかどうかが勝負だと思ってライヴ活動も制作もやってきたつもりです」
――そうなってくると、〈何を伝えるか〉ということが重要になってきますよね。自分を曝け出すということは、自分がどういうものを音楽にぶつけているんだろうという問いと向き合わざるを得なくなってくる。
「“The World Is Yours”では、自分一人がやりたいことというよりも、4人がやりたいのはどういうことなのかを考えましたね。UNCHAINとして何がやりたいのかを考えながら、メンバーでミーティングしたりして。10年以上の付き合いになるんですけど、自分がどういう人間なのかを改めて話したりして。みんな、UNCHAINという言葉のとおり、音楽をやることによって自由になりたいという気持ちがあるんです。その自由というのも、ただ好き勝手にやるというのではなく、音楽としての高みをめざしたい、精神的に解放されたいということで。それに、4人には昔からパンク精神があって、それがメンバーの共通項だったんです。そういう意味で、インディーのファーストの頃の感じを改めて聴いて、おもしろいと感じたし。音楽性としてもああいうものをやりたいというのはありましたね」
――今回のシングルでは“myself”のリアレンジも入っていますけれど。いま改めてアレンジして、過去と現在の違いってどういうところにあったと思います?
「インディーの頃はいろんなものを好き勝手詰め込みすぎた感じがしますね。それによって曲がぼやけちゃったりしていた。今回の“myself”では、踊れる部分や尖ってる部分やダークな部分を入れ込んでも、エモーショナルなロックという基本軸がブレないようなバランスで作れるようになった。それが4人のバンドとしてのパワーがアップしている証拠だと思います。新しいUNCHAINの個性が出ているというか」
――ここのところのUNCHAINって、骨っぽい感じになっていると思うんですよね。洗練されていた音楽性から、その殻を脱ぎ捨ててきている感じがするんですけれども。
「それは、僕がそういうところに音楽のおもしろさを見い出しているからだと思うんですよね。音楽の柔らかさだったり、粗さだったり、そういうところに気持ちが乗っかるんじゃないかと思うし。いまだったら土台があるので、気持ちの部分をどんどん乗っけていっても、曲が崩れないと思うんです。そうしていくことによって、どんどん個性が強烈なものになっていく気がするんです」
――では今回、“The World Is Yours”という曲に込めた思いはどういうものだったんでしょう?
「僕たちは3枚目で強烈な自我を提示するアルバムを作りたいと思ってるんですけれど、そこを新世界とするなら、そこに引き寄せられるように、みんなについてきてほしいというか。そういう思いはありますね」
解放感を得てほしい。そのために音楽をやってるのかもしれない
――UNCHAINというバンドの楽曲には、いつも〈光〉というモチーフがありますよね。そこに関してはいま、どんなふうに思ってますか?
「基本軸として、光を求めるということはずっと変わってないですね。その〈光〉というのが、僕の理想の音、理想の世界の象徴で。どんどん成長しているなかで、理想を求めたい、まだ届かないという気持ちはずっとあって」
――そういう気持ちはなぜあるんでしょう?
「ひとつの壁をクリアしていくごとに新しい目標ができるし、その向上心の現れなのかと思います」
――ちなみに、音楽をしていることによって自分はどういうふうに変わってきたと思います?
「やっぱり、心が閉じがちだった昔の僕にとって、音楽は救いだったんですね。聴くことも歌うこともそうで。音楽によって元気や勇気をもらえて。閉じてた心を開くことができるようになったというか。そういうふうな、コミュニケーションの大切さを教えてもらったような気がします」
――心が閉じがちだった自分というのは?
「なぜかはわからないんですけれど、要するに人見知りで。友達と喋ることも好きなんですけど、うまいことしゃべれなかったり、嫌われるのが怖かったり……自分で自分のことを、ちょっと気持ち悪い人間なんじゃないかって思ってたんですよ。だから自分が出せなかったというのがあって。それを出すことで嫌われるんじゃないかとか思ったり」
――音楽が人に何かを伝える回路として機能したという?
「でも、最初は人前で歌うこともできなかったんですよ。だから自分の部屋で一人で歌を歌うということが日課だったんですよね。でも、歌うことで得られる昂揚感によって勇気をもらって。それで人と喋ることができたというか」
――ひょっとしたら、〈自分を曝け出す〉というモチヴェーションで音楽をやっていくと、辿り着くところってそこかもしれないですよね。自分が最初に感じた興奮というか。
「確かに、歌詞の内容とかテーマって、全部そういう〈克服したい〉というものなんですよね。結局自分のことなんです。けれど、かつての僕のように閉じこもってた人も、僕がやってる音楽を聴けば解放感を得られるんじゃないかと思うし、解放感を得てほしい。そのために音楽をやってるのかもしれないですね」
――なるほど。ちなみに、いまは次のアルバムの曲も揃ってきてます?
「曲は半分くらい出来てるところですね。今度〈54songs/3days〉というツアーをする予定なんです。そこで自分たちのいままでの楽曲を全部演奏して、そのうえでサード・アルバムの方向性を見定めてから残りの半分を作っていきたいと思ってますね」
――インディー時代のミニ・アルバムも再発されるし、そういうツアーもあるし、過去の自分をいまの視点で見るということがひとつの大きなモチーフになっているんですよね。
「いま、いちばん示したいものが、〈UNCHAINはこういうバンドだ〉と言えるはっきりとした世界観なんですよね。それをきちんと提示するためにも、自分がどういう人間なのか、何をやってきたのか、何がしたいのかを改めて4人で固めることが必要なんじゃないかと思ってるんです」
――では最後に。いまの時点で見えているサード・アルバムってどんな感じになりそうでしょうか?
「4人としてのUNCHAINを、いちばん個性的に見せることができる、他にはないアルバムをめざしてます。そうとしか言えない感じですね。初期衝動の気持ちを忘れずに、音楽によって得られると信じている〈解放〉を形にしていきたいですね」