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BLOOD ON THE DANCE FLOOR(2)

〈普通の人〉じゃない人として


  そんな90年代において、〈商業的すぎてリアルじゃない〉などという、よく考えればヘンテコな理由で敬遠されはじめたマイケルはどう振る舞うべきだったか。多くの90年代ヒーローのように自身の〈リアル〉なトラウマをウリにすればよかった? まあ、彼の理想とする音楽がそういう意味で〈商業主義的〉じゃなかったのは言うまでもないし、人々が望む〈身近さ〉を演じることも彼には不可能だった。なぜなら彼は、一般社会で暮らした経験もほとんどなく、浮世離れしたまま莫大な富を得たスターなのだから。他人からすると金銭感覚がおかしかったりする〈非常識〉な人なのだから。そして、その天然なセンスも考え方も才能のスケールも常人と同じはずがないアーティストなのだから。

 非常に象徴的だったのは、96年のブリット・アワードでマイケルのパフォーマンス中にジャーヴィス・コッカー(パルプ)が乱入し、〈お尻ペンペン〉を披露して騒ぎになったことだろう。当時の音楽メディアでは彼の行動を痛快なものとして受け止める動きが主だったように思う。ジャーヴィス自身によると〈マイケルが神のような思い上がった行動を取ったことに抗議した〉そうだが、奇しくもパルプが“Common People”で皮肉ったように〈普通の人のようには暮らせない〉相手を常識で計ること自体がおかしいのだが……結局のところ、どんなものも〈普段着の~〉や〈等身大の~〉とか〈DIY〉とかいう耳通りが良いだけの言葉を基準にしてジャッジする感覚のほうが狂っているのだ。そしてもっと重要なのは、こういったアーティストのイメージ/見え方とアートそのものの真価に本当は何の関係もないのだということである。そもそもマイケルが“Black Or White”で仄めかしたのはそういうことではなかったのか?

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2010年01月06日 18:00

ソース: 『bounce』 317号(2009/12/25)

文/出嶌 孝次

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