BLOOD ON THE DANCE FLOOR
終わりのない苦悩と、その果て
個人的な思いや主張をアートに変えるからアーティストなのだ、と思う。〈主張〉のように大袈裟なものではなく、単に表現のための表現であろうとも、他愛のないことを歌っていようとも、それは表現者として個々のアーティスト性を最大限に発揮しているのだから構わない。つまり、マイケル・ジャクソンはただ単純に自分の作りたいものを作り、それを全うしていたに過ぎない。本当ならそれだけで済むことだった。本当なら受け手はその音楽が好きか嫌いかだけを判断すればいい。が、世間はそれ以上の何かを求めたのだ。
着飾った神秘的なスターから庶民的で気さくな人へ、贅沢なステージ衣装から普段着っぽい装いへ、大きな理想よりも現実に根差した歌へ……80年代的なものを否定する風潮は、ある瞬間に一気に訪れた。それと同時に、明快なエンターテイメントを何となく小馬鹿にするような空気が、90年代に入るとどんどん支配的になっていく(ある世代間ではいまも根深いだろう)。代わりに称揚されたのは、〈リアルさ〉という新しい幻想である。全米1位を4週独走した『Dangerous』を引きずり下ろしたのはニルヴァーナの『Nevermind』だった。
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