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特集

YELLOW MACHINE MUSIC――(1)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年12月10日 18:00

更新: 2010年01月17日 15:08

ソース: 『bounce』 316号(2009/11/25)

文/石田靖博、轟ひろみ、田中将稔

ケンイシイの歩んだ15年を、共に歩んだそれぞれの15年

 

【SUSUMU YOKOTA】イシイと並んで海外レーベルからデビューを果たしたパイオニアのひとり。92年にTENSHIN名義で独ノー・リスペクトから『Brainthump EP』をリリースし、翌年にはハートハウスからアルバム『The Frankfurt-Tokyo Connection』を発表して日本産テクノの盛り上がりを勇気づけた。が、シーン総体のアイコン的な位置を担ったイシイとは対照的に、ヨコタはあくまでも個人的な創作というスタンスを守り続けた。98年に個人レーベルのSkintoneを設立。近年はリーフやローなど欧州のレーベルを中心に、ワルツ路線や歌モノのアンビエント作品などで独自の道を追求している。 *轟

 

▼ススム・ヨコタの作品。

左から、2009年作『Mother』(Lo)、編集盤『Skintone Collection: The Best Of Susumu Yokota』(Skintone)

 

【DJ WADA】93年末にDJ YAMAこと山崎学とMANIAC LOVEにて〈SUBLIME〉をスタート。その後パーティー名を変更し、SUBLIMEは山崎が主宰するレーベル名に。当時のMANIAC LOVEに足繁く通い、後に「初期東京テクノ・シーンのミーティング・ポイント」とも語っていたイシイとの関係も15年来で、サブ・レーベルのReel MusiqからはFLR名義の作品も出されていた。WADAはHeigo Taniとのユニット=Co-Fusionとしても活躍。近年、片耳が聞こえなくなるというトラブルからカムバックし、素晴らしいソロ2作品を完成させている。*田中

 

▼DJ WADAの関連作。

左から、Co-Fusionの2002年作『Co-Fu2』(Sublime)、DJ WADAの2009年作『ONE』(Sublime/ミュージックマイン)

 

【田中フミヤ】93年にいち早くテクノ・レーベルの〈とれま〉を設立し、イシイや石野卓球と共に日本テクノ・シーンを勃興期から牽引した兄さん。日本テクノ史に輝くミックス・シリーズ〈MIX-UP〉にも卓球やイシイと共に日本代表としてエントリーし、ジェフ・ミルズらと共振したハード・ミニマル路線を猛進しつつ、 KARAFUTO名義ではディープ・ハウス~ジャズ路線という幅広さも見せた。近年はその両軸を融合させ、ヴィラロボスなどミニマルの最先端とリンクしたクリック路線へと進化。2005年に半野喜弘とop.discを設立する一方、昨年には自主レーベルのSundanceも始動させている。*石田

 

▼田中フミヤの作品。

左から、97年作『Unknown Possibility Vol.1』(キューン)、2008年作『Unknown 3』(Sundance)

 

【竹村延和】いわゆるアシッド・ジャズの影響下にあるSPIRITUAL VIBESでの活動を経て、94年に『Child's View』でソロ・デビューを果たした鬼才。生音のアンビエンスを活かした当初の作風から後のエレクトロニカにも通じるサウンドに接近していったわけで、いわゆるテクノ・シーン的なものとは一線を画していたが、『こどもと魔法』(97年)などの名作群が日本のテクノのありように大きな振り幅を提案したのは確かだろう。98年にはChildiscを設立してGutevolkら多くの後進を輩出。Moonlitを主宰する現在はドイツに拠点を移している。*轟

 

▼竹村延和の作品。

左から、2001年作『ほしのこえ』(Thrill Jockey)、99年以前の録音による2007年作『kobito no kuni』(Moonlit)

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