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特集

ケンイシイ(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年11月25日 18:00

ソース: 『bounce』 316号(2009/11/25)

文/石田 靖博

ミステリアスな登場


  まず〈アーティスト〉としてのケンイシイである。彼の登場は鮮烈な印象を残すものだった。93年、当時のテクノ・シーンをリードしていたベルギーのR&S傘下のアンビエント系ブランド=アポロから“Deep Sleep”、本体のR&Sからは“Pneuma”とアルバム『Garden On The Palm』、さらにはリッチー・ホウティン主宰のプラス8からUTU名義での“N428”、オランダのESPからライジング・サン(トモヒロ・ハセクラとのユニット)での“Switch Of Love”といった作品が、ほぼ何の前触れもなく一気にリリースされたのだ。なかでも『Garden On The Palm』がNME誌のテクノ・チャートで1位を獲得したことは、彼の名を日本国内に知らしめる大きなきっかけになった。まだインターネットが普及する前という情報の少なさゆえ、日本のリスナーたちは〈Ken Ishii〉というミステリアスな存在に未知のカリスマ的な幻想を抱いたのだ。

 札幌出身/東京育ちのケンイシイは70年生まれ。TVゲームをきっかけに電子音楽に触れ、ティーンの頃にアシッド・ハウス~デトロイト・テクノを体験。日本では誰も知らない頃のトランスマットなどのレコードを聴いていたという。自身でも音楽制作するようになった彼は、大学卒業後は広告代理店に勤務していた。が、在学中から日本のアルファやいくつかの海外レーベルにデモテープを送ってコンタクトを取っており、そうやって契約に結び付いたのがR&Sやプラス8だったのだ。

 やがて、積極的にラジオで楽曲を紹介した石野卓球らによって日本のシーンに〈逆輸入〉されたイシイは、卓球の率いる電気グルーヴの“N.O.”(94年)をリミックスする形でヴェールを脱いでいる。並行してイシイは、黎明期から日本のテクノの精神的支柱であり続けている重要レーベル=SublimeからもFlare名義などでリリースを開始。そして、R&Sを含む内外のテクノを精力的にリリースしていたソニーと契約し、メジャーな舞台に打って出る一大プロジェクトとして、95年のアルバム『Jelly Tones』で華々しく世間に切り込んだのだ。

 『Jelly Tones』プロジェクトの最大の特徴かつ成功の要因は、先行シングル“Extra”のPVにあった。かつて大友克洋「AKIRA」の作画監督補を担った気鋭のアニメーター=森本晃司が手掛けたそのPVは、まさに「AKIRA」を思わせる近未来的なサイバーパンク感覚に溢れており、そこに登場してくる主人公(『Jelly Tones』のジャケ参照)の姿もイシイの佇まいに重ねることのできるものだった。そこでのイメージが、当時のキャッチフレーズだった〈東洋のテクノ・ゴッド〉〈未来少年ケン〉そのままのスタイリッシュなアーティスト像を形成するに至ったのだ。同時に初期の繊細そうなルックス(イシイ本人の格闘技好きにあやかって例えるなら、UFCファイターの吉田善行に似ていた)から、長髪で未来的なファッション(みずからBugged-in Fusionというブランドもプロデュースしている)へと転身したイシイは、まさに〈テクノ・アーティスト〉そのものの格好良さだった。テクノ・ミュージックにおいて、イシイは当初からアーティスト性とヴィジュアル・イメージの関係性に意識的だった数少ないケースといえるだろう(他にはリッチー・ホウティンなどが思い当たる)。こうした意識の高さは現在に至るまで彼の表現の重要な一部であり続けている。

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