'TIL YOU GET ENOUGH(2)
フィラデルフィアでの研鑽
兄ジャーメインを残して、ついにモータウンを離脱したジャクソン兄弟は、末弟のランディを新メンバーに迎え、創作と印税の両面で好条件を示したCBS/エピックと契約、ジャクソンズと名称を改めて新たなスタートを切った。76年のことだ。同時にCBS傘下のフィラデルフィア・インターナショナル(PIR)のロゴも纏った彼らは、兄弟愛の街として知られるフィラデルフィアに向かい、まさに兄弟の絆を深めながら自分たちの音楽を作っていく。そんな彼らの新たな音楽パートナーとなったのが、PIRを主宰したフィリー・ソウルの立役者=ケニー・ギャンブル&リオン・ハフとその一派だ。J5時代にもデルフォニックスやスタイリスティックスのフィリー・ソウル名曲(主にトム・ベル関連だったが)をカヴァーしていたジャクソン兄弟だけに、フィリー勢との顔合わせは名誉なことだっただろう。録音はフィリー・ソウルの聖地=シグマ・サウンド・スタジオ。実は兄ジャーメインも少し前に同所で(結局はお蔵入りとなる)アルバムを録音しており、奇遇にもジャクソンズは、別れたジャーメインに続いてシグマ・スタジオに足を踏み入れたのだ。
シグマのセッションでは、〈創作の自由〉が移籍の第一条件だったこともあってか、ギャンブル&ハフはジャクソンズを一人前のミュージシャンとして扱い、フィリー・サウンドの定型に閉じ込めなかった。例えば、マイケルがソングライターとしてデビューを飾った『The Jacksons』(76年)からの第1弾シングル“Enjoy Yourself”はJ5の“Dancing Machine”の延長線上にあるようなダンス・ナンバーで、以前“Dancing Machine”で自分のスタイルを掴んだマイケルが、より開放的な気分でその個性を前面に押し出したという印象を受ける。
そして、この頃にはマイケルの歌にも色気と攻撃性が強まってきた。後にトレードマークになる〈ウッ〉〈アッ〉という発声も顕著になりはじめ、エネルギッシュな唱法に変貌していくのだが、よく聴けばこれは、憧れでもあったハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツのテディ・ペンダーグラスにそっくりだ(マイケルはバリトンではないが)。ちなみに、ジャクソンズのフィリー録音盤とほぼ同じスタッフで制作されたテディのソロ・デビュー作(77年)には、パーカッションがポリリズミックにうねる“I Don't Love You Anymore”というダンス・ナンバーがあるが、いま思うとこれは、後にマイケルが自作する“Don't Stop 'Til You Get Enough”の雛型と言ってもいいような曲だったりする。この時期のジャクソンズがギャンブル&ハフから楽曲制作のプロセスを学んでいたというのは有名な話だが、マイケルはそれに加えて、自分に足りない男臭さを求めるべく、当時〈セックス・シンボル〉と呼ばれていたテディの力強くセクシーな歌唱を少なからず意識していたのではないだろうか。
- 前の記事: 'TIL YOU GET ENOUGH
- 次の記事: 'TIL YOU GET ENOUGH(3)