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PROLOGUE――音楽活動再開までのストーリー

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2009年10月21日 18:00

文/宮本英夫

 一時はミュージシャン引退を表明し、俳優業にシフトしていた伊藤ふみおが、縁の深いあの人物の死を乗り越えて音楽シーンに帰還するまで……

もう引退しようと思っていた

――戻ってきてくれて嬉しいです。ふみおさんにはやっぱり、ずっと歌っていてもらわないと。

「ありがとうございます。そういう優しい言葉をかけてくれるライターの人が多くて……(笑)」

――KEMURIの解散からいまに至るお話を訊きたいんですが、ズバリ伺います。KEMURIを解散したいちばん大きな理由は何だったんですか。

「次に新しくいっしょに成し遂げようと思うことがなくなったからじゃないかな。それは言い方を変えると、KEMURIというバンドが最初に持っていた夢は全部実現させたし、さらに〈フジロック〉のメインステージに何回も出演するとか、そういう嬉しいこともあったので。それを全部やってしまったということだと思うんですよね。続けるモチベーションがなくなってしまった。それは誰が悪いとか、何かが正しくなかったということじゃなくて、KEMURIというバンドにみんながフッと集まったように、またフッと離れていく時が来たんだなって。最近、それぐらい客観的に見られるようになりましたね」

――解散後の活動については、どんなヴィジョンがあったんですか。

「最初は、もう引退しようと思っていたの。もう音楽をやめようと。2006年の7月に僕がバンド脱退を決意して、解散ということになったんだけど、それからはずっとそういう気持ちで、最後のアルバムのインタヴューでも〈僕はもう引退しますから〉って、新庄みたいなことを言ってる(笑)。その時は、日本の音楽を海外に紹介するような仕事を、裏方に回ってやろうと思っていたの。でも2007年の8月に、詳しくは言えないけど自分のなかで大きな変化があって、〈歌は意地でもやめられない〉という気持ちになって、解散ライヴに至るんですけどね」

――その変化というのは、プライヴェートなことですか。

「いえ、KEMURIというバンドの活動のなかで感じたことですね。これはもうちょっとやらないと駄目だな、と」

――12月9日にラスト・ライヴが終わった時の心境は?

「燃え尽きて、真っ白になった気分でしたね。朝の4時ぐらいに打ち上げから帰ってきて、昼前に目が覚めて、いつもと同じような朝なんだけど〈今日からすべてが変わるんだろうな〉と思ったのは覚えてる。でも事務所はまだあったから、解散ライヴのあともマネージメントのことはそのあと何か月も続くんだけど」

――その後、音楽とは別に俳優をめざしたということなんですが、どんな経緯だったんですか。

「クリスマス前ぐらいに知り合いの人から電話がかかってきて、〈会わせたい人がいる〉って言われたの。それで会いに行ったら、いまのマネージメントの人がいて、〈俳優になりませんか?〉って言われて、〈俳優って何?〉と(笑)。こっちは燃え尽きて真っ白になって、しかも会社を終わらせるためにやらなきゃいけないことは山ほどあるし、すっごい忙しかったんですよ。そういう時に〈俳優になりませんか?〉って言われて、とにかくよくわからないという感じ。〈俳優なんてできっこないじゃん〉って一瞬思ったんだけど、でも、その人たちと話をしているうちに、やったこともないのにできないって思ってる自分って何なのかな?と思ったりして。負けず嫌いの性格でもあるし。正式に契約するのは何か月も先のことなんだけど、〈この人たちとやってみよう〉と思ったんですよね。でもまだ真っ白で、自分のことを考える余裕は一切なかった」

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