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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2009年09月24日 19:00

ソース: 『bounce』 314号(2009/9/25)

文/出嶌 孝次

大切なのは俺の顔じゃなく、俺の音楽だ

  「信じられない気分だね。USのヒップホップはマーケットが大きいし、金もあるから国境も楽々と越えられるだろうけど、UKのアーティストである俺が、こうして日本で紹介される機会を得ることができて、心から嬉しく思っているよ」。

 そう語るのはスウェイ。一部では昨年のベスト・アルバム候補という呼び声も高かったものの、流通の関係で日本ではずっと入手しづらかった『The Signature LP』が日本盤化されて、ようやく手軽に聴くことができるようになったのだ。まずはその生い立ちから話を訊いてみよう。

サッカーが下手だったから……

 スウェイことデレク・サフォは、82年にロンドンで生まれている。母親はアムステルダムに暮らすガーナ人だったが、出産のために里帰りする途中のロンドンで彼を産んだのだという。しばらくして彼は母と共にガーナへ向かうが、祖父の死にまつわるゴタゴタもあって、母一人がロンドンで生活を立て直すことになったという。

 「4歳の頃に母親が迎えに来てロンドンに移ったんだけど、ガーナではトゥイ語というガーナの言葉を喋っていたから、最初は英語が喋れなかった。家ではトゥイ語、学校では英語を喋るっていう、2つの文化/言語と同時に触れ合ったから、俺は言葉に興味を持つようになったんだよね」。

 その頃からラッパーとしての素地は作られていたことが窺える話だ。

 「母親も義父も音楽好きだったから、家ではあらゆる音楽がかかっていたよ。例えばボブ・マーリー、ポール・サイモン、それからガーナの伝統音楽にハイライフとか……。初めて買ったアルバムはマイケル・ジャクソンの『Thriller』だ。当時5歳ぐらいだったけど、あのアルバムを聴いて、音楽をやってみたいって思ったのさ。ヒップホップに惚れ込んだのはボーン・サグズン・ハーモニーがきっかけだ。“Tha Crossroads”(96年)の頃さ。その前にもNWAとかは聴いてたけど、主にビートを聴いていたんだ。でも、ボンサグのラップには〈俺と同じような外見の奴らが、俺と同じライフスタイルを送ってる〉って気分になって、〈ポール・サイモンやビートルズよりも共感できるぜ〉って思った。自分でもラップしてみたくなったのはここからだね」。

 一方でUKの音楽についてはどうだったのか? 

 「USはブラック・アーバン・ミュージックのメトロポリスだよ。人種の坩堝で、多数の文化が入り混じっていて、人口が多いだけ才能のある人も多い。正直、UKみたいな小さな島国では太刀打ちできないよ。それでも俺はソー・ソリッド・クルー、オマー、ソウルIIソウル、D・インフルエンス、ビヴァリー・ナイトといったUKの音楽を聴いてたし、マッドネスやUB40も愛聴してたぜ」。

 そうやって自国産にもこだわりながら多様な音楽に親しんでいたスウェイが、自分でもビートを作るようになったきっかけは、「サッカーが下手だから運動場に出るのも時間の無駄だし(笑)、昼休みとかは音楽室に入り浸ってたんだ。そこで機材の使い方や鍵盤の弾き方を覚えた。13歳ぐらいの頃だね」とのことだ。活動の発端となったフィニックス・クルーも音楽室にいた上級生2人と結成したグループだという。そこに別の学校のコモーションというグループが合流して生まれたのがワンだが、そのアルバム『Onederful World』(2002年)を出す前後に彼はソロ活動の道を選んでいる。

 この時期はUKガラージ人気から多くのMCクルーが輩出され、後にグライムと括られるディジー・ラスカルやストリーツらが台頭してくる頃だった。そこに現れたのが、ユニオンジャックで顔を隠した男のミックステープ『This Is My Promo(Vol.1)』(2004年)だったのだ。

 「俺がラッパーとして活動を始めた頃は、ヒップホップをやろうとしたら〈アメリカ人になりたがってる〉なんて感じで見られたもんだった。でも、俺は俺、つまり、アフリカンでブリティッシュだってことと、あらゆる音楽を聴いて愛する人物だってことがわかってもらえればいい。ずっと顔を隠していたのは、〈大切なのは、俺の顔じゃなく、俺の音楽だ〉ってことを伝えたかったからさ。最初は黒いバンダナを顔に巻いて写真を撮ったんだけど、いまから銀行強盗に行く奴みたいに見えたから(笑)、ユニオンジャックに変えた。国旗を使うのは白いUKをレペゼンする行為だという人もいたけど、ユニオンジャックを使ったおかげでジャケも目立って、話題にもなったよ」。

 同作はスウェイ自身の設立したディサイファからのリリースとなり、翌年に出た〈Vol.2〉のジャケでは今度はガーナ国旗で顔をマスキングしていた。こうやって早耳たちの評判を集めた結果、彼は2005年に行われたMOBOアワードの〈最優秀ヒップホップ・アクト〉部門を受賞している。

 「自分でも信じられなかった。嬉しかったのは、UKのみんなに選ばれて受賞したってことだよ。大金を使ってPVを作ったりできるUSのアーティストよりも、みんなのリアルな評判が勝ったってことだからね」。

 彼は2006年にようやくファースト・アルバム『This Is My Demo』を投下し、これはマーキュリー音楽賞の〈最優秀アルバム〉にもノミネート。そうした好調のなかで2008年10月にリリースされたのが、今回日本盤化された『The Signature LP』だ。

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