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ビートルズをいまから聴くにあたって(2)

カテゴリ : スペシャル

掲載: 2009年09月09日 18:00

更新: 2009年09月09日 18:25

文/久保田 泰平

世界中に飛び火した衝撃

  ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人から成るビートルズ。とりあえず、4人の出会いであるとか、ハンブルグでの修行であるとか、前任のドラマーのこととかっていうデビュー前のエピソードは割愛させていただきまして……いやしかし、ひとつだけは記しておきましょうか、ブライアン・エプスタインのことは。ビートルズが地元リヴァプールで定期的に演奏をしていた時分、彼らの才能にいち早く目を付けた、デビュー後の初代マネージャー、それがブライアン・エプスタインという方。もともとレコード屋の店主だった人なんですが、ビートルズをデビューさせるためにあちこちのレコード会社にデモを持ち込むなりして、せっせと売り込んでくれたんですな。ブライアンはメンバーの心の拠りどころでもありまして、彼が67年に急死したことが、ビートルズ解散の引き金になったとも言われているんです。その昔、ムッシュかまやつが「ビートルズで誰が好きか?と訊かれたら、ブライアン・エプスタインと答える」と語っていた記事を読んだことがあるんですが、ブライアンさんはまさに〈5人目のビートルズ〉、彼なくしてビートルズはありえなかった。イチローにとっての故・仰木彬監督のような存在、といえばわかりやすい……こともないですか。

 さて、そのブライアンさんがデモを持ち込んだEMI傘下のレーベル、パーロフォンのトップだったのがジョージ・マーティン。もともとクラシック畑の作家さんだった彼のプロデュースによって、4人はようやくデビューすることに相成りました。デビューにあたってマーティンさんは、リード・ヴォーカルを誰にしようか悩んだそうです。と言いますのも、当時のポップ・グループは〈リード・ヴォーカル+バック・バンド〉という形態が主流だったためでして。結局、ジョンとポールの二枚看板でいくことに決定したわけですが、クラシック音楽出身のプロデューサー、ツイン・リードというのは、ビートルズの音楽性を肥やすのにのちのち大きな役割を果たすことになっていくわけですねえ。

 それはさておき、彼らは62年の10月にシングル“Love Me Do”でデビュー。そのデビュー曲からしてメンバーによるオリジナル楽曲だったわけですが、作家と演者が分業制だった時代には、これもまた異例だったようです。“Love Me Do”は、本国UKでそこそこのヒット(最高位17位)に止まりましたが、63年1月にリリースされたセカンド・シングル“Please Please Me”は最高位2位(ローカル誌では1位)を記録。さらに、続く“From Me To You”“She Loves You”“I Want To Hold Your Hand”がいずれもNo.1を獲得して、ビートルズはデビューから1年足らずでUKを席巻していったんですね。そんな彼らの人気は、翌64年には大西洋を越えてUSに飛び火します。2月から5月にかけてビートルズの曲がNo.1にランクされ続けたほか、4月4日付けの全米シングル・チャートでは1位“Can't Buy Me Love”、2位“Twist And Shout”、3位“She Loves You”、4位“I Want To Hold Your Hand”、5位“Please Please Me”と、上位を独占するという離れ業までやってのけたのです。もちろん、ビートルズ旋風は日本にも襲来しました。64年だけでも4枚のアルバムと13枚のシングルがリリースされていたという……この手の〈物量作戦〉はこの頃から日本のお得意技だったんですねえ。

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