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特集

カテゴリ : スペシャル

掲載: 2009年08月26日 18:00

更新: 2010年01月25日 20:55

ソース: 『bounce』 313号(2009/8/25)

文/林 剛

スティールタウンの天才少年

 

 

マイケル・ジャクソンは最期まで無垢な少年の心を失わなかった人だったと思う。亡くなったいまだから言えるが、これ以上歳をとっていく姿が想像できないほど〈永遠の少年〉だった。それは何も一連のゴシップを連想させようとして言っているわけではない。ソウルフルなヴォーカルとキレの良いダンスを体得したのと引き換えに失った少年時代の普通の生活……それを追い求めることが彼の人生のテーマのひとつだったように思えるのだ。

彼が73年にモータウンからソロ・リリースした“With A Child's Heart”という曲がある。スティーヴィー・ワンダーの66年曲をカヴァーしたものだが、マイケルはここで大人にはわからない子供の心情を吐露していた。それから20余年を経て発表した“Childfood”では失われた少年時代を探し求めていた。マイケルのそんな姿は痛々しくも美しく、リスナーの胸を打つ。ジャクソン5のモータウンからの最初のシングル“I Want You Back”には〈Oh, baby, give me one more chance〉という名フックがあるが、思えばマイケルは何度か〈チャンスをもう一度〉とも歌ってきていた。J5の70年作『ABC』で披露した“One More Chance”、そして結果的に生前最後のシングルとなってしまったR・ケリー作の同名異曲“One More Chance”。実のところそれらは愛を乞う歌であるのだけど、充ち足りない何かを追い求めながら未来に向かっていくような、その切なくも清々しいヴォーカル・パフォーマンスにわれわれは魅了されてきたような気がする。

 

シャイで厚かましい子

 

 

マイケル・ジャクソン(本名マイケル・ジョセフ・ジャクソン)は、58年8月29日、父ジョーと母キャサリンの間にジャクソン家5番目の男の子(兄マーロンに生後他界した双子がいたので正確には六男)としてインディアナ州ゲイリーで生まれている。幼い頃からミュージカルや映画の曲を歌っていたというエピソードは、J5のファースト・アルバムでディズニー映画の名曲“Zip-A-Dee-Doo-Dah”を取り上げていたことからも、信じるに足る話と言っていいだろう。

元ミュージシャン(ギタリスト)であった父ジョーが上の兄弟3人の才能を見抜いて組ませていたヴォーカル・グループに、5歳のマイケルが、ひとつ上の兄マーロンと共に加わったのが63年。父ジョーは息子たちを一流のタレントにすべく、時にベルトで身体を鞭打つなどしながら猛特訓させたという。ジャクソン5と名乗りはじめたのは66年頃のことのようで、マイケルをフロントに立てたグループは、週末になると一家で全米各地を回り、NYのアポロ・シアターやシカゴのリーガル・シアターなどで観客を魅了していく。そんななかマイケルは同じステージに立ったジェイムズ・ブラウンやジャッキー・ウィルソン、サム&デイヴといったソウル・スターたちのエキサイティングなパフォーマンスを見て、それを学んだ。後にマイケルは、この当時クラシック音楽にも傾倒していたと語っているが、それでもいちばんノメり込んでいたのはR&B(リズム&ブルース)だった。モータウンで活動を始めて間もない頃、レイ・チャールズの“A Fool For You”(95年にJ5のボックス・セット『Soulsation!』で初公開)を、まるで何年も歌い続けてきたかのように堂々と歌い上げていたことからも彼のR&Bへの傾倒ぶりは窺えるだろう。また、65年に地元のタレント・コンテストで優勝した際に歌っていたのが、後にソロで録音することにもなるテンプテーションズの“My Girl”だったというあたりからも、そのルーツを窺い知ることができる。

とりわけモータウンは、地元インディアナとそう遠くない中西部にある名門レーベルだっただけに、J5にとって眩しい存在だったに違いない。が、68年、そんな彼らも夢に一歩近づく。モータウン(モーター・タウン)よろしく鉄鋼業の街であるゲイリーの愛称を冠した地元レーベル、スティールタウンからシングル“Big Boy”を発表するのだ。これで音盤デビューを果たしたJ5はふたたびNYのアポロ・シアターなどで大物アーティストの前座を経験。そこでエッタ・ジェイムスを見つけたマイケルは、〈オーディエンスを魅了する術〉を訊ねに楽屋を訪れ、エッタからその奥儀を授かったという。エッタいわく〈マイケルはシャイなくせに厚かましい少年だった〉というが、この頃から彼は芸のためならとことん追求するタイプだったようだ。

そうしてツアーをしているうち、グラディス・ナイトがJ5の実力を見抜き、自身の所属していたモータウンの関係者に推薦する。ところがグラディスの話には誰も興味を示さず、結局、ヴァンクーヴァーズを率いていたボビー・テイラーがシカゴのクラブで〈再発見〉し、ボビーの尽力でJ5はようやくレーベル上層部の目を引くことに。彼らが晴れてモータウンと契約したのは68年7月のことだった。

 

バブルガム・ソウル

 

 

当時のモータウンは本社をデトロイトからLAに移す準備に取り掛かっており、音楽的にもデトロイト・サウンドからの脱却を図っていた。そんな過渡期に迎え入れられたJ5だったが、彼らは父ジョーの猛特訓やツアー経験のおかげで、社内アドヴァイザーを務めたスーザン・デパッセ女史の介入も必要としないほどパフォーマーとして完成されていた。そして何より、マイケルという強力な少年ヴォーカリストがいた。モータウン社長のベリー・ゴーディJrとしては、LAモータウンの門出に相応しい、確実にヒットを狙える(新人だが)大物として彼らを迎え入れたのだろう。その熱の入れようは、ゴーディみずから率いる音楽制作チーム=コーポレーションがプロデュースに乗り出したことからも窺える。もっとも実際は、専属作家の退社や休業、多忙といった社内事情から仕方なくプロデュースにあたったのだが、しかしこれが大当たり。当初グラディス・ナイト&ザ・ピップス用に作っていた“I Wanna Be Free”という曲を改作した“I Want You Back”がいきなり全米1位に輝き、J5は幸先の良いスタートを飾った。

その後、ダイアナ・ロスが発掘したというニュアンスを持たせたファースト・アルバム『Diana Ross Presents The Jackson 5』(69年)を発表。現在では実際にダイアナが〈発掘〉したわけではないということも判明しているが、モータウン入社直後からJ5がダイアナ邸に住まうなどして手厚いサポートを受けていたことも事実で、このタイトルは必ずしもデッチ上げとは言えない。いずれにせよ、J5はそれだけ社運を賭けたプロジェクトであったわけだ。

また、映画/映像作品にも力を入れはじめていたモータウンにとって、アフロヘアの男の子たちが華やかに歌い踊る姿はヴィジュアル的にも文句なしだった。71年に凱旋帰郷を追ったTV番組とそのサントラ盤『Goin' Back To Indiana』が企画されたのも、そんなJ5ならではと言える。と、こうしてTV番組などへの露出を図りながらプロモーションを展開。内気でシャイな少年が精一杯に明るく振る舞って歌う、その愛くるしい姿に誰もが釘付けになったのだろう……結果、(時代は前後するが)“I Want You Back”に続いて、“ABC”“The Love You Save”“I'll Be There”の各シングルが全米ポップ/R&B両チャートで1位を記録。まさに人種を超えて支持される〈アメリカン・アイドル〉となったわけだが、いま思えばこれは、80年代に『Thriller』収録曲のPVがMTVで放映され、No.1ヒットを連発した時の状況と非常によく似ている。マイケルはJ5時代からヴィジュアル・メディアの恩恵を受けていたのだ。

70年には、『ABC』『Third Album』『The Jackson 5 Christmas Album』といった3枚の秀作をリリース。マイケルのキッズ声が炸裂する〈バブルガム・ソウル〉とも称される時期のアルバムだ。しかし、バブルガム(ポップで親しみやすいが、風船ガムのようにアッという間に消えてなくなる音楽という皮肉も孕んでいる)とはいえ、J5の曲、そしてマイケルの歌は、子供っぽいけど子供離れした大人顔負けの表現力を持つクォリティーの高いものだった。翌71年に大ヒットした“Never Can Say Goodbye”はそれを見事証明した名曲と言っていいだろう。

そうした豊かな(繊細な)ヴォーカル表現を武器に、マイケルは71年に “Got To Be There”でソロ・シンガーとしても活動を開始。ソロではグループ時よりも愁いを含んだ曲を一途に歌い上げるというスタンスを基本にして、“I Wanna Be Where You Are”“Ben”といったナンバーで大人のハートをも掴んでいった。同時にJ5の作品もその色合いを強めていく。ただ、身体的にも精神的にも大人になりつつあったマイケルは自我に芽生え、モータウンのやり方が徐々に窮屈なものに思えてきたともいう。もはや子供扱いできなくなってしまったというわけで、コーポレーションとの共同作業もJ5の73年作『Skywriter』を最後に終了。声変わりという難題を抱えながら新たな時代に突入していくのだった。

 

▼マイケル・ジャクソンの作品を紹介。

左から、モータウンでのソロ・アルバムを集大成した編集盤『Hello World: The Motown Solo Collection』(Hip-O-Select/ユニバーサル)、同時期の音源の編集盤『The Stripped Mixes』(Motown/ユニバーサル)

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