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WITH A CHILD'S HEART スティールタウンの天才少年(2)

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2009年08月26日 18:00

更新: 2009年08月26日 18:21

ソース: 『bounce』 313号(2009/8/25)

文/林 剛

シャイで厚かましい子

  マイケル・ジャクソン(本名マイケル・ジョセフ・ジャクソン)は、58年8月29日、父ジョーと母キャサリンの間にジャクソン家5番目の男の子(兄マーロンに生後他界した双子がいたので正確には六男)としてインディアナ州ゲイリーで生まれている。幼い頃からミュージカルや映画の曲を歌っていたというエピソードは、J5のファースト・アルバムでディズニー映画の名曲“Zip-A-Dee-Doo-Dah”を取り上げていたことからも、信じるに足る話と言っていいだろう。


  元ミュージシャン(ギタリスト)であった父ジョーが上の兄弟3人の才能を見抜いて組ませていたヴォーカル・グループに、5歳のマイケルが、ひとつ上の兄マーロンと共に加わったのが63年。父ジョーは息子たちを一流のタレントにすべく、時にベルトで身体を鞭打つなどしながら猛特訓させたという。ジャクソン5と名乗りはじめたのは66年頃のことのようで、マイケルをフロントに立てたグループは、週末になると一家で全米各地を回り、NYのアポロ・シアターやシカゴのリーガル・シアターなどで観客を魅了していく。そんななかマイケルは同じステージに立ったジェイムズ・ブラウンやジャッキー・ウィルソン、サム&デイヴといったソウル・スターたちのエキサイティングなパフォーマンスを見て、それを学んだ。後にマイケルは、この当時クラシック音楽にも傾倒していたと語っているが、それでもいちばんノメり込んでいたのはR&B(リズム&ブルース)だった。モータウンで活動を始めて間もない頃、レイ・チャールズの“A Fool For You”(95年にJ5のボックス・セット『Soulsation!』で初公開)を、まるで何年も歌い続けてきたかのように堂々と歌い上げていたことからも彼のR&Bへの傾倒ぶりは窺えるだろう。また、65年に地元のタレント・コンテストで優勝した際に歌っていたのが、後にソロで録音することにもなるテンプテーションズの“My Girl”だったというあたりからも、そのルーツを窺い知ることができる。

 とりわけモータウンは、地元インディアナとそう遠くない中西部にある名門レーベルだっただけに、J5にとって眩しい存在だったに違いない。が、68年、そんな彼らも夢に一歩近づく。モータウン(モーター・タウン)よろしく鉄鋼業の街であるゲイリーの愛称を冠した地元レーベル、スティールタウンからシングル“Big Boy”を発表するのだ。これで音盤デビューを果たしたJ5はふたたびNYのアポロ・シアターなどで大物アーティストの前座を経験。そこでエッタ・ジェイムスを見つけたマイケルは、〈オーディエンスを魅了する術〉を訊ねに楽屋を訪れ、エッタからその奥儀を授かったという。エッタいわく〈マイケルはシャイなくせに厚かましい少年だった〉というが、この頃から彼は芸のためならとことん追求するタイプだったようだ。

 そうしてツアーをしているうち、グラディス・ナイトがJ5の実力を見抜き、自身の所属していたモータウンの関係者に推薦する。ところがグラディスの話には誰も興味を示さず、結局、ヴァンクーヴァーズを率いていたボビー・テイラーがシカゴのクラブで〈再発見〉し、ボビーの尽力でJ5はようやくレーベル上層部の目を引くことに。彼らが晴れてモータウンと契約したのは68年7月のことだった。

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