INTERVIEW 第3回――20年目の格言〈もうろくは武器なり〉〈屁は時に雄弁なり〉
解散の理由がないから解散できない
→→→第2回(いろんな意味で20周年っぽかった記念ライヴ〈俺っちのイニシエーション〉)の続きとなる最終話。伝説の演歌歌手=瀧勝の復活から、話題は音楽メディアの変遷へと壮大に展開……!?
――それにしても、バカやムダが生み出す破壊力に関しては他の追随を許さぬものがありましたね。さらに、それをいまだに持ち続けているという凄み。
石野「数少ないバブルの残り香(笑)?」
瀧「確かに瀧勝みたいなのが会社の企画会議で通ってリリースできたんだからね」
石野「ここまでくるともうライバルもフォロワーもまったくいないし、影響受けたヤツがいたとしても違うフィールドにいってるでしょ」
瀧勝(1991年)
――犬に噛まれて死んだはずの演歌歌手、瀧勝もこの前のライヴに登場。唯一のシングル“人生”(91年)を着流し姿で歌いましたね。
瀧「やるときゃやるよ(笑)」
石野「だいたい短冊CDってもの自体がもう絶滅したじゃん」
瀧「あれ見るとなんかヘコむんだけど、俺」
石野「最近のCDプレイヤーだと物理的にかからなかったりするからね。あれはなんだったんだろうと思うよ。〈折るとコンパクトになる〉ってのを鵜呑みにして折ってみたり(笑)。あれ所有欲満たさないんだよな」
――音楽のメディア自体がCD~MD~配信と変貌していきました。
瀧「うちらもMD出してるからね。『A(エース)』はMDもあった」
石野「自分のソロの『BERLIN TRAX』のMDなんて封開けてないもん、貴重すぎて。だってもう聴かないでしょ、MD」
瀧「(音楽媒体用の)サンプルも初期はまだ白カセ(ット)あったしね」
石野「あと、CCCD(コピー・コントロールCD)では大打撃受けたもん。あの頃、電気のベスト盤とソロを3枚も出したんだから」
瀧「まあ、できることは何でもやって、何でも出してきたとも言える」
石野「国際ハイビジョン・コンクールでウチらのPVが最優秀賞をとったんだよ。その賞もらったのってうちらとボブ・ディランかなんかで、その頃ハイビジョンでPV撮ってるのなんて世界でほとんどいなかったからもらえただけで」
瀧「まだハイビジョン・テレビなんて誰も持ってない時代。その“カフェ・ド・鬼”のハイビジョン・ヴァージョンが入っているのがLD(笑)」
石野「映画の途中でガッチャンってひっくり返すなんていまじゃ考えられないよね。モノによっては3枚組とかあって所有感と封を切った時の匂いにはすげぇ満たされたけど」
――振り返ってみると、2001年から約3年間活動を休止していたのは意味があった?
石野「あったと思うよ。あの時は何もやりようがなかったから、無理矢理やっても続かなかったんじゃないかな」
瀧「もしあのまま休止しないで続けていたら、こんな20周年は迎えられなかったとは思うよ」
石野「瀧はいま頃もう完全に役者に本腰入れてたでしょ」
瀧「下北の本多劇場を中心に(笑)。そんなによかねぇか? まあ、あの間(活動休止中)はよく雑誌とかでも〈元電気グルーヴ〉って書かれたりしてたけど」
石野「だって解散の理由が見当たらないんだから。うちら〈解散の理由がないから解散できない〉という新しいパターンなんだよ」
▼懐かしの短冊CD
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