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特集

矢沢永吉(3)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年08月05日 18:00

更新: 2009年08月05日 18:03

ソース: 『bounce』 312号(2009/7/25)

文/山内 史

常にチャレンジャーであり手本であり、孤高である

 スーパースターになることは、矢沢にとっての目標ではあったが、必ずしもゴールではない。〈ザ・芸能界〉の番長に、ミュージシャンとして何の価値があるだろうか。そうなると、次のステージが〈世界〉になることは必然である。レコード会社を移籍し、世界に打って出る準備が着々と進められた。

 そうして発表されたアルバム『YAZAWA』(81年9月世界同時リリース)はしかし、矢沢の想定していた形とは違うディストリビューション契約で、全米ではまったくプロモーションもなくリリースされる。そのために成功とは程遠い結果となってしまった。

 しかし、数字上はともかく彼が本気で世界を相手にロックンロールを鳴らした、という事実は事実だ。82年9月にドゥービー・ブラザーズ(!)を率いての武道館〈来日〉公演、シングル“ROCKIN' MY HEART”(日本リリースは10月)が翌年1月にビルボードのパワープッシュを受けるなど、彼のパフォームはネクスト・ステージへと進んでいた。

 それから80~90~2000年代と、矢沢が〈スーパースター〉であり続けているのは皆さんご承知の通り。その裏で彼はさまざまなトラブルにも巻き込まれてきた。それを隠さずテキスト(本稿も多く参考とさせてもらった著書「成りあがり」「アー・ユー・ハッピー?」など)に残してくれたおかげで、契約、権利、興行、舞台制作などにおいて後進ミュージシャンの多くが回避できているトラブルは数多い。一方で音楽人・矢沢として忘れられない名曲の数々、人生に寄り添ってくれるアルバムの数々、胸に刻まれたライヴの数々を残してきた。当時はかなりのサプライズとなったTVCMやドラマ、映画の出演も然り。

 サプライズといえば、〈矢沢=不良音楽〉と見なされていた時代に、渋谷陽一は〈矢沢永吉はオシャレである〉として彼の瀟酒な側面にズームしたラジオ特番を放送した。それを耳にして矢沢を本格的に聴きはじめた、いわゆる文化系音楽ファンも少なくはない(筆者もその一人)。彼の影響を公言するミュージシャンも数多くいるが、矢沢そっくりの音楽を演奏する人はいない。近年はライヴハウスでの公演、夏ファスへの参加にも躊躇がない。だからであろうか、〈スーパースター〉にありがちな、ティーンエイジャーによる〈俺の聴く音楽じゃないし〉というある種の〈無視〉とも無縁である。こんな人、他にはいない。

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