スペシャル・ロックンロール対談! みうらじゅん×渡辺大知(黒猫チェルシー)(2)
ロックでもあり、フォークでもあったボブ・ディラン
――確かにそういうノスタルジーは感じさせませんでしたね。そんななかで、村八分とかボブ・ディランとか当時の音楽が印象的に使われていましたが、渡辺さんは60~70年代の日本のロックや洋楽から影響を受けたりはしてますか?
渡辺「僕は基本的に年代とかジャンルとか全然意識してないんです。映画の撮影前から村八分とかも聴いてて、すごい大好きだったんですけど、むしろ新しいというか新鮮なんですよね。ジャンルも年代も何も意識せずにカッコ良いものはカッコ良い。だから友達と話をしてても、〈村八分のあのアルバム、聴いた?〉とか、普通に言ってたし」
――みうらさんは、リアルタイムで村八分は観てました?
みうら「観ました。京大西部講堂で村八分を一度観たし、拾得で外道も観たし。あの(アルバムになった)外道ライヴ、俺、行ってるんだ。でも、恐かった~、昔の人は。〈ロックって恐い〉って思ったもん(笑)。それは高校の頃でしたね。上田正樹とサウス・トゥ・サウスとか、ウエスト・ロード・ブルース・バンドとか、ああいうのがすごい好きだったんですけど、自分がロックに近付けるなんて、あの頃は思ってなかった。やっぱり遠い存在だったね、ロックはいまも」
――レコードで聴くもの、みたいな?
みうら「やっぱり、あの頃の人は濃かったしね。すごい憧れたけど確実になれない感じがしたから。だから、その間にいる(ボブ・)ディランが好きになったのかもしれない」
――〈間〉というのは?
みうら「ロックでもあり、フォークでもあったから。映画にも出てくる曲“It's All Over Now Baby Blue”の入ったアルバム『Bringing It All Back Home』とか“Highway 61 Revisited”とか、フォーク・ロックの頃はものすごくグッときた。文科系でもあり、でも言うことはワイルドみたいな。体育会系みたいな感じじゃないから。ディランはああいうロックのサウンドに乗せて、情けない男の気持ちを歌ったりするんですよ。多分、ボブ・ディランって男の気持ちをロックに乗せた初めての人なんだ。でも、当時、ディランは日本では流行ってなかったんだ。みんな(レッド・)ツェッペリン、(ディープ・)パープルの時代だったから、〈なに聴いてんねん〉てみんなに言われてたけど、でも自分にはしっくりきたね、あの音が」
――渡辺さんは、ディランは聴かれてますか?
渡辺「“The Freewheelin' Bob Dylan”は買って持ってました」
みうら「“The Freewheelin' Bob Dylan”のジャケットってさ、当時付き合ってた彼女と写ってるんだ。そんなことする人ってさ、世界中でも誰もいなかったんだ。だって、別れるかもしれないじゃん。で、現実に別れたんだけど、相手は素人の人だよ。だからいま、渡辺くんが付き合ってる彼女と写真を撮ってジャケットに乗せるか?、なんだわ(笑)。すごいことするんだよね」
――後に残っちゃうのに(笑)。
みうら「もう、〈ひとりFRIDAY〉(笑)。気ままにすごいことをやるんだよね、ボブ・ディランって。初めてプロモ・ヴィデオを制作したのもボブ・ディランだし。ものすごい早いことをやるんだよね」
写真/小松貴史
――渡辺さんはディランを聴いて、どういうところに惹かれましたか?
渡辺「自然な感じですかね。あんまり聴き込んでないんで恥ずかしくて言えないんですけど(笑)。でもいいと思うのは、それこそツェッペリンとかみたいにシャウトしてキメる人と違うじゃないですか。ボブ・ディランは、〈すごい温かい人だな〉みたいな感じが伝わってきて、いいなと思いました。フォークでも、ロックをやっても、なんか温かいなって思って。キメないカッコ良さというか、そういうのはすごく感じました」
みうら「“Like A Rolling Stone”っていういちばん有名な曲ってさ、途中で演奏の音がバラけるんだわ。長い曲だけど途中でバラバラになってまた戻るんだ。普通だったら録り直しするでしょ? してないんだよね。また戻るところまで録って、それをプレスして売ってるっていうのがパンクっちゃあパンクですよ、すごく。あの頃、きちっとしたものが音楽だったけど、へっちゃらなんだよね、そういうとこ。そこらへんがいま聴いてもすごいスリリングで。後の“Hurricane”っていう曲も途中で演奏がラフになるんだけど、また戻るんですよ。一発録りやってるんだと思うけど。それから『Another Side Of Bob Dylan』っていうアルバムはたった1日で録ってる。あの頃でも考えられなかったことをやってるんですよ。まあ、スタイリッシュだったわけです、ディランは」