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特集

69>59 日本のロックを読み解くキーワード(2)

カテゴリ : スペシャル

掲載: 2009年06月03日 17:00

更新: 2009年06月03日 17:40

文/岡村詩野、加藤直子、北爪啓之、出嶌孝次、冨田明宏、宮本英夫

インディーズ・ブーム

70年代末に起きたパンク・ムーヴメントは、80年代に入ってニューウェイヴやテクノ・ポップなどを巻き込み、既存のレコード会社が送り出すポップスや歌謡曲に対するカウンター勢力を形作る。それが〈インディーズ・ブーム〉で、当初は〈個人レヴェルの自主制作〉という意味だった。宝島社が85年に設立したレーベル=キャプテンの成功などを受け、〈メジャー・インディー〉と言うべき状況へと発展。ラフィンノーズ、有頂天、ウィラードが〈インディーズ御三家〉と呼ばれるなど、音楽性とは関係のない認知のされ方も一般化した。90年代以降にHi-STANDARDらが先導したインディーは、精神としての自主制作とメジャー資本とを折衷した〈進化型インディー〉と言えるかもしれない。*宮本

東京モッズ

映画「さらば青春の光」よろしく、ヴェスパのスクーターに乗り、スリムなスーツに身を包んだ若者たちが楽器を手にしてビートを鳴らす。ジャムなどに呼応するかのように、80年代半ばの東京にもそんな粋なバンドが多数登場。なかでもTHE COLLECTORSの前身バンドであるTHE BIKEや、甲本ヒロトによるTHE COATSなどが人気を担っていた。イヴェント〈MODS MAYDAY〉の企画中心人物でDJでもある黒田マナブはいまもシーンの精神的支柱。*岡村

バンド・ブーム

インディーズ・ブームによって火が点いた〈ロック人気〉は、やがて大手レコード会社の参入とバブル経済の後押しを受け、TVや雑誌といったメディアも巻き込んで大きく発展していく。87年にデビューしたブルーハーツ、ユニコーン、LA-PPISCHらのメジャー組、東京は原宿の歩行者天国=〈ホコ天〉でのフリー・ライヴで腕を磨いたJUN SKY WALKER(S)やTHE BOOMなどの路上組、そして89年2月から放送されたオーディション番組「いかすバンド天国」を経由したFLYING KIDS、たま、ジッタリン・ジンらの〈イカ天〉組が入り乱れ、89年頃を頂点に空前のバンド・ブームが巻き起こった。当時の喧騒を言葉で再現するのは難しいが、昨今の〈お笑いブーム〉に近いような、キャラクター先行のミーハー的な要素もかなり強かったことは否めない。ゆえにいまでは否定的なニュアンスで語られることも多いが、再結成を果たしたユニコーンをはじめ、音楽的に独創性の高いバンドも多数輩出し、息の長い活動をしているアーティストがこの世代に多いのも事実。再検証するとおもしろい時代かもしれない。*宮本

AIR JAM世代

98年と2000年にHi-STANDARDが主催したロック・フェス〈AIR JAM〉の出演バンド、また同フェスの参加者やリアルタイムでこれらのバンドに入れ込んだリスナーがみずからを指してこう呼ぶ。ハイスタの他、BRAHMANやBACK DROP BOMBなどパンクを通過した自由な発想を持つバンドが多くいたこともあって、この世代のリスナー/アーティストの嗜好性は幅広い。しかし最近では、単にハイスタの影響下にあるパンク・バンドを指す言葉として使われることも。*冨田

青春パンク

2000年代初頭、ポップなパンク・サウンドと、主に思春期ならではの心の葛藤や恋愛のあれこれをテーマに日本語詞で歌うバンドが数多く登場した。雑誌「STREET ROCK FILE」で取り上げられたGOING STEADYやSTANCE PUNKS、ガガガSPらがその代表格で、なかでもMONGOL 800の2001年作『MESSAGE』がインディー・リリースながらミリオン・ヒットを記録するなどお茶の間レヴェルにも浸透し、同類のバンドが激増。ブーム収束後もこの手の〈青春応援歌〉は人気だが、そのモードはレゲエやヒップホップを基調にするグループへと移行したようにも!? *加藤

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