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PLAY THAT FUNKY MUSIC, WHITE BOY 白人ラッパーの系譜──エミネム登場のビフォー・アフター

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年05月28日 17:00

更新: 2009年05月29日 19:54

ソース: 『bounce』 310号(2009/5/25)

文/高橋 芳朗

 いまにして思えば、白人ラッパーの歴史の始まりは素晴らしいものだった。86年のビースティ・ボーイズに、89年のサード・ベース。両者はヒップホップに対する深い理解と愛情を持ち合わせているうえ実力的にも申し分なく、シーンのなかで白人ラッパーが信頼を得るにはどうあるべきかも心得ていた。「あいつらと良い関係を築くことができたのは、奴らは黒人になりきったフリなんかしないからさ」というQ・ティップの発言が示唆的だが、彼らは意気がって黒人のように振る舞うことなく、自分たちの身の丈に合った表現で成功を収めたから、ブラック・コミュニティーからのリスペクトを勝ち取ることができたのだ。少年時代のエミネムはビースティの『Licensed To Ill』を聴いて〈これなら俺にもできる!〉と確信し、人種問題を扱ったサード・ベースの“Product Of The Environment”に感銘を受けて本格的にライムすることを決意したそうだが、この2組の活躍は彼をはじめとする後進たちに計り知れない勇気を与えることになったはずだ。

 だが、90年のヴァニラ・アイスのブレイクによって白人ラッパーのイメージは大きく失墜する。彼はビースティらとは対照的に、付け焼き刃な黒人的表現を臆面もなく用いて顰蹙を買ったのだ。エミネムは当時を振り返って「無性に腹が立った」とコメントしているが、そんな心情を代弁するようなサード・ベースらの激しいディス攻撃により、ヴァニラ・アイスはすぐにシーンから撤退。以降はアイリッシュ・ルーツを強烈に打ち出してきたハウス・オブ・ペイン、アンダーグラウンド・シーンに新しいモードを確立したエル・P~カンパニー・フロウ、そして積年の鬱憤を晴らすように〈ヴァニラ・アイスのブロンドのドレッドを剥ぎ取ってやりたい〉とラップして登場したエミネムの奮闘もあり、白人ラッパーを取り巻く環境は次第に好転していった。その後、21世紀に入ってからはヒューストンのポール・ウォールを筆頭に南部からも個性的な白人ラッパーが次々と台頭。2007年に米VH1で放映されたリアリティ・ショウ〈The White Rapper Show〉にはちょっと複雑な気分にさせられたが、昨年VIBE誌が企画した人気投票〈The Best Rapper Alive〉でのエミネムの1位獲得、ジェイ・Zも高く評価するアッシャー・ロスの人気ぶりなど、白人ラッパー事情はここにきてまた新しい局面を迎えつつある。


ヴァニラ・アイスの90年作『To The Extreme』(Ultra/SBK)

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