Eminem(2)
8マイル・ロードの日々
このプルーフは、エミネムの半自伝的映画「8 Mile」(2002年)でメカイ・ファイファー扮するMCバトル司会進行役のモデルとなっているが、かなり早い時期からエミネムとは互いの才能を認め合い(“Yellow Brick Road”によれば、ビッグ・ダディ・ケインのライムを研究していたようだ)、エミネムが一足早く成功への道を確実にした時点から、ステージ上だけでなく、常に彼を守り立てる役目を進んで引き受けていた。プルーフがエミネムの精神的支柱だったことは間違いない。この映画はリアリティーを狙ってエミネムが育ったデトロイトの8マイル・ロード周辺でロケも敢行されている。オリコン・チャートでNo.1に輝くほど日本でも大ヒットしたエンディング・テーマ“Lose Youself”にも集約されているように、当時のエミネムがラップを究めたい一心で心頭滅却(Lose Youself)状態にあり、どんな苦痛も苦痛と感じなかったことは確からしい。一方で、劇映画という性格上、脚色された部分も当然多かった。この映画が撮影された頃までには、“Kill You”“Cleanin' Out my Closet”といった曲を通じて〈ぶっ殺したる〉〈アルコールに依存しただらしのない生活は許せない〉などと激しく非難・糾弾され、恐るべき確執があることを暴露されてきたエミネムの実母が、劇中でもそれらの曲のイメージに違わぬ存在として描かれているのにもかかわらず、息子やそれらの楽曲に対するほどムキにならなかったのは、セクシー熟女なイメージのキム・ベイシンガーが自分の役に扮したからなのか。実際、この配役そのものが嫌がらせのように思えるのだが……。
ともあれ「8 Mile」の時代設定は、モブ・ディープの“Shook Ones Pt. 2”など、劇中でかかるヒップホップの有名曲の数々が示すように95年。エミネム自身は72年10月生まれだから、その頃は22、3歳だ。歳の近かった叔父の影響で、アイス・Tの“Reckless”(映画「ブレイキン」サントラ収録曲)などからヒップホップに目覚めた彼は、14、5歳の頃よりM&Mというラップ・ネームを使いはじめていた。M&Mといえばチョコレートの名前として広く知られているが、これは本名マーシャル・マザーズ(正式にはマーシャル・ブルース・マザーズ3世)のイニシャルを組み合わせたもので、その発音からエミネムとなったのだ。そんなわけで、すでにM&M名義で地元でのMCバトルを活動の場にしていた彼は、実は92年の段階でFBTプロダクションと契約を結んでいて、その95年にはエミネム名義のデビュー・アルバム『Infinite』(翌年11月にウェブ・エンターテイメントから発表)のレコーディングにとりかかっていたのだった。しかも、その年のクリスマスには、ハイスクール時代からの腐れ縁でくっついたり離れたりしていたガールフレンド、キンバリー・アン・スコット(通称キム)との間に娘ヘイリーが誕生。父親としての責任が重くのしかかって成功を焦ったものの、完成したアルバムではあからさまにナズやAZのスタイルをなぞっていて、聴いているこちらが気恥ずかしくなってしまうほどだ。そんなわけで、同作はセールス以前に、反応そのものさえなかった。
もう失敗はできないと焦りが募りに募っていたタイミングで誕生したのが、先のD12の一員としてのオルター・エゴ=スリム・シェイディだったのだ。どこか特別に異常な悪者と見られがちだが、聴き手の側からすれば、社会道徳および倫理の観点から、実際にはやりたくてもやれないこと、言いたくても言えないことや暗い欲望・願望の実現を一手に引き受け、すべて言動に移してくれる存在であり、殊に抑圧されたところのあるリスナーには誠にありがたい(?)存在だといえる。それはもちろんエミネムにとっても同じことだ。キムに激怒して、言葉も喋れないような幼い娘を連れて妻の遺体を棄てにいくストーリーテリングもの“Just The Two Of Us”、さらに、その前段階にあたる部分を扱った壮絶な“Kim”についても、〈それを書いたのは俺ではない、スリム・シェイディだ〉と居直ることができる(もっとも、そこまで責任転嫁する前にこの2曲を聴いたキム本人との関係は悪化したわけだが)。エミネムが99年にポール・ローゼンバーグと共に設立した自身のレーベル=シェイデイに50セントを招き入れたのも、オルター・エゴも設けることなく常に言いたい放題を続けていた50に憧憬の思いすら抱いていたからかもしれない。