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特集

Blue teardrops are falling(6)

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2009年05月14日 11:00

更新: 2009年05月14日 17:40

ソース: 『bounce』 309号(2009/4/25)

文/出嶌 孝次

最後の栄光

 81年にはジャンとの離婚が成立。『Love Man』の素材を元にした『In Our Lifetime』もリリースされた。莫大な借金や税金の督促から逃れて海外を転々としていたマーヴィンは、マーヴィンのファンだという実業家、フレディ・クルザートの厚意を受け、ベルギーのオステンドという街で隠遁生活を送り、鋭気を養っていった。周囲の尽力もあってモータウンから円満に離れた彼は、ラーキン・アーノルド(同時期には奇しくもメアリー・ウェルズと契約)の率いるCBS(コロムビア)と82年に契約を果たしている。

 地元のミュージシャンと手が合わなかったからか、予算がなかったからか、自身でドラム・マシーンのTR-808を打ち込んだマーヴィンは、ゴードン・バンクスやハーヴェイ・フークアの助けを得ながら10月に復活シングル“Sexual Healing”をリリースする。同曲は10週連続でR&BチャートのNo.1を獲得。アルバム『Midnight Love』もヒットを記録し、83年のグラミー賞では、スティーヴィーやマイケル・ジャクソンを押さえて2部門に輝いている。この授賞式と、同年のNBAファイナルで披露した国歌斉唱が最後の晴れ舞台となった。

 アメリカに帰国する頃からふたたびコカインへの依存を深めていった彼は、全米ツアーの終了後はLAにある両親宅に身を寄せていた。父親にはそんな様子が不愉快でならなかったのかもしれない。一方の息子も年老いてなお傲岸な父親に怒りを覚えていたのかもしれない。

 45歳の誕生日を翌日に控えた84年4月1日──マーヴィンは口論の末に父親を殴り飛ばしたという。一度部屋を出た父は、かつて息子からプレゼントされた銃を手にして部屋に戻ってきた──そして、マーヴィン・ゲイは永遠になった。

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