Blue teardrops are falling(2)
クラシックの誕生
もちろん周囲の助けも手厚かった。モータウン専属ソングライターのアル・クリーヴランドと、フォー・トップスのレナルド・ベンソンが書いた曲を持ってマーヴィンの元を訪れた時、彼は自身が歌うことを拒否したという。1か月(!)に渡る粘り強い説得を受け入れて、ついにマーヴィンがレコーディングした曲こそ、かの“What's Going On”である。シングルは70年秋にリリースを予定されるも、レーベルの判断で一旦は発売中止の決定が下されている。最終的にそのシングルが世に出たのは71年1月のことだった。
新録のシングルとしては1年以上ぶりとなる“What's Going On”はチャートを上昇し、R&Bチャートで5週連続のNo.1をマークしている。ベリー・ゴーディが懸念したと思われる社会性の高いリリックではあったが、それゆえに広がりを生むヒットとなったのだろう。そうした状況を受けてモータウンもマーヴィンも大いに乗り気になり、アルバムのレコーディングが開始されることとなる。この頃モータウンはLAへの移転を進めていたのだが、“What's Going On”のそもそものアイデアを持ち込んだアル・クリーヴランドらがLAに行っているうちに、マーヴィンは勝手にアルバムのレコーディングを進めてしまうことになる。このことで周囲の不興を買ったのは当然だが、彼の独断は功を奏した。
マーヴィンの弟で、後に歌手デビューしたり兄の替え玉を務めたりするフランキー・ゲイは、3年間の従軍生活でヴェトナム戦争を経験し、戦地の状況を兄によく聞かせていたという。感受性の豊かなマーヴィンは大いに心を動かされたことだろう。フランキー自身も述懐しているように、かつて軍隊生活に馴染めなかったマーヴィンは弟に嫉妬と羨望の念を抱いていたというが、それもまた彼らしいと思う。いずれにせよ、戦地における兵士たちのヘロイン中毒、あるいはニュースで見聞きする都市の貧困、あるいは環境問題、さまざまな関心事がマーヴィンをかつてなく集中させ、さまざまなメッセージを卓抜したアレンジで組曲のように聴かせるアルバムが完成した。マーヴィン自身がライナーノーツをしたため、モータウンのレコードとしては初めて演奏するミュージシャンたちの名前もクレジットされている。こうしてリリースされた『What's Going On』は大きな支持を獲得し、アルバムからは“Mercy Mercy Me(The Ecology)”や“Inner City Blues(Make Me Wanna Holler)”といったシングル・ヒットも相次いだ。マーヴィンは〈アーティスト〉として表舞台に帰ってきたのだ。