GRANDMASTER FLASH(2)
数々のDJ技法を独自に確立
グランドマスター・フラッシュことジョセフ・サドラーは58年にバルバドスで生を受けて、その後すぐ家族と共にNYはサウス・ブロンクスに移住している。ドライヤーから洗濯機まで家にある電気製品を片っ端から解体して構造を調べ、廃棄された車からラジオやスピーカーを抜き取っては自分の部屋に持ち帰って修理していた少年時代のフラッシュは、そのエレクトロニクスへの強い関心から職業学校で電気技師の訓練を受講するのだが、ここで実践的な技術と知識を学んだ経験が彼のDJとしてのキャリアに大きなアドヴァンテージをもたらすことになる。70年代初頭、2枚のレコードの間奏部分を往来させて繋ぎ合わせていくクール・ハークの画期的なDJプレイに夢中になっていたフラッシュは、クロスフェーダーを駆使して曲と曲とを切れ目なくかける人気ディスコDJ、ピート“DJ”ジョーンズのテクニックを採り入れて応用することで、ハークが発見した〈ブレイクビーツ・ミュージック〉をより洗練された形で表現できると気付いたのだ。こうして彼は約3年の歳月を費やして、2台それぞれのターンテーブルで再生されている音をヘッドフォンで聴くことができるキュー・モニターを開発したほか、バックスピンをはじめとする数々のDJ技法を確立。さらにグランド・ウィザード・セオドアが編み出したレコード針を前後に動かすことで発生する雑音=スクラッチを発展させることによって、75年にはついにクイック・ミックスの完成に漕ぎ着けている。また、このころフラッシュは英ヴォックス社の手動式ドラム・マシーンを改造した〈ビートボックス〉を自分のDJプレイに導入。ソウルジャ・ボーイやクール・キッズらにも影響を与えているであろうその暴力的なまでの破壊力は、Bozo Mekoなるレーベルからリリースされている“Flash It To The Beat”のライヴ・レコーディングで体験できる。現状この音源はアナログでしか出回っていないが、多少の労力を払ってでも入手する価値はあると思う。
さて、クイック・ミックスを完成させたフラッシュは早速それをパーティーで披露するが、彼の手元で何が行なわれているのかまったく理解できなかったオーディエンスは、意外にも棒立ち状態でほぼ無反応だったという。この結果を受けたフラッシュは、クイック・ミックスの威力を存分に引き出すには新たにヴォーカルを加える必要があると判断し、76年からはカウボーイやメリー・メル、キッド・クレオール、スコーピオ、ラヒームといったMCを起用してよりエンターテイメント性の高いパフォーマンスを展開。〈Say“Ho”〉〈Clap ya hands to the beat, y'all〉〈Throw your hands in the air〉〈Somebody scream〉などのシンプルなフレーズを連呼して観衆を煽動した彼ら5人のMCは、やがてフューリアス・ファイヴを名乗るようになる。
クール・ハークがコーク・ラ・ロックを雇っていたように、専属のMCを従えてパフォームするDJはフラッシュが初めてというわけではなかったが、掛け合いのラップや振り付けされたダンスなども織り交ぜた複雑なルーティンをこなすフューリアス・ファイヴは、MCというものの在り方をまったく新しいレヴェルへと進化させることになった。結果的に彼らはトレチャラス・スリーやコールド・クラッシュ・ブラザーズに代表される新進ラップ・クルーの台頭を誘発するわけだが、いまにして思えばこれこそがヒップホップのひとつのターニングポイントだったのだろう。78年になるとMCたちはパーティーの主役の座を完全にDJから奪い取り、いよいよ79年11月にはヒップホップの存在を世界に知らしめたシュガーヒル・ギャングの“Rapper's Delight”が登場する。グランドマスター・フラッシュとフューリアス・ファイヴもこの動きにすぐに反応して、“Rapper's Delight”の1か月後にはデビュー・シングル“Superrappin'”をリリース。その後“Freedom”や“It's Nasty(Genius Of Love)”といったスマッシュ・ヒットを経て、82年夏には大都市の荒廃を描いた初の社会派ヒップホップ・ソング“The Message”を大ヒットさせて人気グループの座を決定的なものにした。
こうしたなか、“Superrappin'”で〈Flash is the king of quick mix〉と紹介されているにも関わらず、フラッシュ自身の活躍がレコードに刻まれる機会は皆無に等しかった。だが、ブロンディによる81年の全米No.1ヒット“Rapture”の曲中でデボラ・ハリーに〈Flash is fast, Flash is cool〉と歌われたことが刺激になったのか、同年にフラッシュはその“Rapture”をはじめ、シック“Good Times”やクイーン“Another One Bites The Dust”などをライヴ・ミックスしたターンテーブル・ミュージックの金字塔“The Adventures Of Grandmaster Flash On The Wheels Of Steel”を作り上げる。ハービー・ハンコックの“Rockit”、B・ボーイズの“2, 3, Breaks”、DJジャジー・ジェフ“A Touch Of Jazz”、DJプレミア“DJ Premier In Deep Concentration”など、以降のターンテーブリズムの始祖といえるこのサウンド・コラージュは、フラッシュがこれまでDJイングに注いできた情熱と研究の結晶であり、ブロック・パーティーで実際に行なわれていたことがひとつの楽曲へと昇華された歴史的な作品になった。当時“The Magnificent Seven”や“This Is Radio Clash”でヒップホップへの憧憬を露わにしていたクラッシュなどは、このレコードに感銘を受けて自分たちのNY公演のオープニング・アクトにフラッシュとフューリアス・ファイヴを起用しているほどだ(だが、パンクスたちが彼らを受け入れることはなかった)。
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