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How sweet is it?(4)

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2009年05月07日 11:00

更新: 2009年05月07日 17:31

ソース: 『bounce』 308号(2009/3/25)

文/林 剛

理想とは裏腹な成功

 R&Bシンガーとしてのマーヴィンは、ミッキー・スティーヴンソンの制作で62年7月に発表した“Stubborn Kind Of Fellow”から始まったと言っていいだろう。バック・ヴォーカルにマーサ&ザ・ヴァンデラスを従え、甘いテナーの美声を投げ捨てて力強く粗削りな歌を聴かせたこれには、周囲の人間もマーヴィンの心変わりに驚いたという。もっとも、マーヴィンにしてみればこれは意思に反する歌い方で、半ばヤケクソで歌ったというのだが、それが初の全国ヒット(R&Bチャート8位)となってしまうのだから人生どうなるかわからない。続く“Hitch Hike”でも激しく野性的な歌唱を披露。一方、“Pride And Joy”では持ち前の甘いテナーも活かし、アンナへの愛を歌い上げた。これを録音した62年に、マーヴィンはアンナと結婚(=〈離婚伝説〉の幕開けだ)している。

 こうしてR&Bシンガーとしての地位を確立していく一方、陰ではスティーヴィ・ワンダーとコカインを分け合うなどしていたらしいが、65年にはスモーキー・ロビンソン制作の“I'll Be Doggone”をR&Bチャート1位に送り込むなど、数年間で人気は急上昇。68年に出した“I Heard It Through The Grapevine”はマーヴィン初のポップ/R&B両チャート1位を記録し、頂点を極めた。これを手掛けたノーマン・ホイットフィールドとは頑固者同志ゆえに気が合わなかったというが、この頃のマーヴィンは、意地を張るだけでなく、自分を客観視することの重要性にも気付きはじめていたという。また、レーベルメイトだったデヴィッド・ラフィン(テンプテーションズ)やリーヴァイ・スタッブス(フォー・トップス)の歌声を聴くうちに、男らしく野性的に歌うことが女性へのアピールになると感じはじめてもいたようだ。

 こうしたなか、時代は前後するが、マーヴィンは女性とのデュエット作品でも名を上げた。メアリー・ウェルズとの『Together』(64年)を筆頭に、お蔵入りとなったオマ・ペイジとの共演(90年のボックス・セット『The Marvin Gaye Collection』で4曲が初公開された)に続くキム・ウェストンとの『Take Two』(66年)、そしてタミー・テレルとの3作品がそれだ。とりわけ、タミーと彼は恋人同士のような相性の良さを見せ、アシュフォード&シンプソンが制作した“Ain't No Mountain High Enough”などはソウル/R&Bにおける男女デュエットの究極として、いまも燦然と輝いている。「マーヴィンが歌うと佳曲が傑作になるの」とは作者のヴァレリー・シンプソンの弁だが、ここでもマーヴィンは楽曲をすっかり自分のものにしていた。

 一方で、アンナとの結婚生活は冷めたものに。67年にはタミーが(脳腫瘍で)コンサートの最中にマーヴィンの腕の中に倒れ込むという事件にも見舞われる。けれど、70年3月にタミーが他界するまでのマーヴィンは、オリジナルズに楽曲を提供したり、後に『What's Going On』や『Let's Get It On』に収録されることになる楽曲の制作に取り掛かるなど、精力的に活動していた。69年には、奴隷解放~公民権運動に尽力した3名の偉人の名を冠したプロテスト・ソング“Abraham, Martin And John”(前年にディオンが歌った曲のカヴァー)を歌い、社会/人種問題に関心を寄せる姿も垣間見せている。

 60年代のマーヴィンを〈モータウンの生産ラインに乗っかった自意識のない歌手〉と安易に評する風潮もいまだに強い。だが、よく見ていけば、マーヴィン・ゲイという人は早くから自我に目覚め、危なっかしくも自分自身をコントロールしてきた歌手だったのだということがわかる。70年代のマーヴィンを神格化する前に60年代の彼に触れることから始めよう……と、いま改めてこう言いたい。
【次号へ続く】

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