How sweet is it?(2)
内なる悪魔との戦い
マーヴィン・ゲイは1939年4月2日、ワシントンDCで生まれた。本名は、後にその頭文字が69年作『M.P.G.』のタイトルにもなったように、マーヴィン・ペンツ・ゲイ・ジュニア。〈Gay〉と綴るラスト・ネームにeを加えて〈Gaye〉としたのは61年、モータウン(タムラ)での公式デビュー曲“Let Your Conscience Be Your Guide”から。憧れのサム・クックが〈Cook〉を〈Cooke〉にしたことに倣ったとされるが、実際は同性愛者と勘違いされることを避けるためだったとも言われる。同時に、そうすることで〈父親(の姓)と距離を置けた〉とも後にマーヴィンは語っている。2005年に英BBCで放映されたドキュメンタリー(「What's Going On~The Life & Death Of Marvin Gaye」としてDVD化)の冒頭で、「内なる悪魔との戦いがいまの俺を作ったんだ」という生前のマーヴィンの言葉が流れるが、戦いの最大の敵、それは父であるマーヴィン・ゲイ・シニアだった。
マーヴィンの父は、禁欲主義で知られるキリスト教ペンテコステ派の教会の牧師として知られていた。だが、聖職者でありながら自分の子供に対して虐待行為を繰り返すようなサディスティックな人間だったともいう。加えて女装癖もあり、マーヴィンはそんな父を恥じ、自分は男らしくあろうとボクシングを始めたとも言われる。結果的には父の暴力や女装癖がトラウマとなり、〈生真面目で繊細だがワガママで反抗的〉という多重人格的な性格の持ち主として生涯を過ごすことになるのだが、それはまたマーヴィンの音楽(活動)にも大きな影響を及ぼした。
とはいえ、3歳頃から父の教会でゴスペルに親しんでいたというマーヴィンは、「父の布教活動に同行して歌うことが嬉しくてしょうがなかった」とも告白しており、歌うことの悦びは幼いながらに見い出してもいたのだ。63年にR&Bチャート15位となった“Can I Get A Witness”というリズミックなアップ・ナンバーがあるが、これなどは歌詞も含めてほとんどゴスペルに近い曲で、教会での体験がマーヴィンにとっていかに悦びに満ちたものであったかを示す一例と言えよう。けれど、ゴスペル的ではあっても、粗削りなシャウトと滑らかなクルーナー唱法を混ぜ合わせたヴォーカルは、他に類を見ないマーヴィン独特のもの。ホランド=ドジャー=ホランド(H=D=H)の一員として同曲の制作にあたったラモン・ドジャーは、「マーヴィンからは注文が多くて、よく対立したよ。無茶な転調もするしさ」と振り返っているが、教会ではあえて聖歌隊の指導者が顔をしかめるような声を出して歌っていたというマーヴィンは、幼い頃から常に〈表現者としての自分〉を意識していたのだ。それだけに対立も多かった。そうしたなか、「ファルセットで歌え」というH=D=Hの注文に嫌々従いつつ、自身のスタイルを加えて歌い上げたのが64年の“How Sweet It Is(To Be Loved By You)”だったというが、他人からの指示を嫌いながら、そうされることで反逆精神が芽生え、さらなる高みへと昇っていく――傑作と呼ばれるマーヴィンの作品が、たいていこうしたプロセスを辿って生まれているのは、とても興味深い。
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