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DOIN THEIR OWN THANG, AND NOW 音楽シーンの中核に躍り出ていったメンバーたちのその後


●AL JACKSON Jr.
  〈メトロノームのように正確〉とも評されるドラミングを持ち味としたアル・ジャクソン。ダック・ダンと共に最期までスタックスでのスタジオ仕事を続けながら、72年頃からは外部での動きも活発に並行させている。地元の英雄エルヴィス・プレスリーのスタックス録音作はもちろん、エリック・クラプトンやレオン・ラッセルらの南部志向な作品に数多く招かれたのは、やはりそのリズム・オブ・メンフィスとしての才を買われてのことに違いない。とはいえ、もっとも重要なのは旧知のウィリー・ミッチェルが運営したハイでのセッション仕事だろう。アル・グリーンやアン・ピーブルズらの作品に起用された彼は、タイトなスティック捌きでいわゆる〈ハイ・サウンド〉の確立に貢献。前者の大名曲“Let's Stay Together”“I'm Still In Love With You”などで共作者にも名を連ねるなど、ソングライターとしても活躍した。が、そんな好調期にあった75年10月、自宅前で暴漢に殺害。犯人は現在も不明だという……。


●DONALD "DUCK" DUNN
  アルと共にスタックスに残留したダック・ダンもまた、ロック・フィールドを中心にさまざまなアーティストの作品に参加している。デラニー&ボニー~エリック・クラプトンのラインや、トム・ダウド絡みのロッド・スチュワートなど、一定のアーシーさを持ち合わせた連中との仕事は流石に相性も良い。また、リヴォン・ヘルムの結成したスーパー・プロジェクト=RCOオール・スターズ(これにはブッカーとクロッパーも参加)などを経て、78年にはお笑い番組「サタデー・ナイト・ライヴ」から誕生したユニット、ブルース・ブラザーズの背後もクロッパーと共に固めていくことになる(映画版にも出演)。ソロ作の発表などはなく、プレイヤー志向の強い人ではあるが、ボブ・ディランの『Shot Of Love』やニール・ヤングの『Silver And Gold』に率先して参加するなど、以降に繋がるMG's人脈を築き上げていったキーマンでもある。


●BOOKER T. JONES
  60年代半ばにグループ活動と並行して大学で音楽理論を学んでいた彼は、徐々に音楽的な野心を蓄えていき、69年にスタックスを離れてLAに移住。プロデューサー/マルチ演奏家/シンガーとして一気に活動のフィールドを広げている。まず、夫人のプリシラとのデュオでA&Mと契約すると『Booker T. & Priscilla』(71年)から計3枚のアルバムを発表し、74年には『Evergreen』(フリー・ソウル文脈で人気だった“Jamaica Song”を収録)でソロ・デビュー。以降も甘い歌い口のメロウな作風でシンガーとして人気を博していった(……がA&M時代のブツはすべて廃盤!)。プロデューサー/アレンジャーとしては、ビル・ウィザースによるフォーキー・ソウルの名作『Just As I Am』と70'sカントリーの最高峰たるウィリー・ネルソンの『Stardust』を手掛けた功績が最大のものだろう。意外なところでは、吉田拓郎のLA録音作を全曲アレンジしたりもしている。以降もカルロス・サンタナ、ナタリー・コール、ボズ・スキャッグス、ジョン・リー・フッカーら各界のビッグと組んで影響力を発揮していく。今回のニュー・アルバム『Potato Hole』は89年の『The Runaway』以来、20年ぶりとなるものだ。


ビル・ウィザースの71年作『Just As I Am』(Sussex)


●STEVE CROPPER
  サテライト・レコードショップの店番まで担当するなどスタックス漬けの青春を送ったクロッパーは、69年にソロ・デビュー作『With A Little Help From My Friends』をリリース。運営体制の変化に嫌気が差して71年に袂を分かってからは、昨年のフェリックス・キャヴァリエとのタッグ作『Nudge It Up A Notch』までスタックスと絡むことはなかった。離脱後はジェフ・ベック・グループの名作〈オレンジ盤〉をプロデュースしたり、タワー・オブ・パワーやリンゴ・スター、シェメキア・コープランド、ジョン・オーツらの作品に次々と参加。最近だとアル・クーパーの最新作にダック・ダンを伴って参加し、その名も“Staxability”なるソウル・ナンバーを披露していたのが印象的だ。また、ブルース・ブラザーズとしての来日(89年)時に端を発する忌野清志郎との交流は、別掲の『Memphis』を経てなお続き、『夢助』のプロデュースも担当することに。今年に入ってからは、闘病中の清志郎をサポートして間寛平の応援企画ソングを手掛けたばかりだ。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年04月30日 12:00

更新: 2009年04月30日 17:55

ソース: 『bounce』 309号(2009/4/25)

文/出嶌 孝次

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