BOOKER T. & THE M.G.'s(3)
破格の成功と後進への多大な影響
“Green Onions”はR&Bチャート首位、ポップで3位を記録、数か月で70万枚を超える爆発的なセールスを挙げた。勢いに乗った彼らは、62年から64年にかけて“Jellybread”“Chinese Checkers”“Mo' Onions”“Soul Dressing”をヒットさせている。アルバムの『Green Onions』も63年1月に全米チャートの33位まで上昇。初期のスタックスにおいて最高の稼ぎ頭だったのは、インスト・グループであるブッカーT&ザ・MG'sだったのだ。
50年代後半にフィラデルフィア出身のビル・ドゲットがオルガン・インストを次々にヒットさせて以後、この楽器はさらに身近な存在となった。61年にはレイ・チャールズがオルガンを主役に据えたインスト“One Mint Julep”を大ヒットさせている。好んでオルガンを弾いたJBも、ドゲットから大きな影響を受けているはずだ。そのJBが“Out Of Sight”で大きくファンクの時代へと舵を切った64年の秋、MG'sからはオリジナル・ベーシストのルイ・スタインバーグが脱退、マーキーズにいたドナルド・ダック・ダンが新加入している。ダック・ダンはクロッパーと同じ41年生まれ、ルイよりも7歳下で、よりアグレッシヴなプレイを持ち味としていた。それは同時にビートルズが全米を席捲した年の出来事でもある。
80年代のジャコ・パストリアスとの共演やラウンジ・リザーズでのプレイでも知られる、現在を代表するオルガニストのひとり、ジョン・メデスキーはこんなふうに言っている。「ブッカーT&ザ・MG'sはR&Bからロックへの橋渡しになった。彼らの演奏はパンチの効いたものだったけど、間違いなくロックというよりはファンクでもあった」。さらに90年代のアシッド・ジャズ・シーンで活躍したオルガン奏者のジェイムズ・テイラーは、UKでハモンド・オルガンがポピュラーになった理由を「ブッカーT&ザ・MG'sやスタックスのアーティストたちがロンドンにやって来て、ギグをしていったからさ」と説明している(両者の発言はマーク・ヴェイル著「The Hammond Organ: Beauty In The B」から)。
ダック・ダンが加入した65年頃から、MG'sの面々はスタックスのスター歌手を支えるミュージシャンとしても八面六臂の活躍を始める。オーティス・レディングやサム&デイヴ、ジョニー・テイラー、カーラ・トーマスらのセッションを休みなくこなし、アレンジやプロデュースも担当。特にクロッパーは、ウィルソン・ピケットの“In The Midnight Hour”をはじめ、エディ・フロイド“Knock On Wood”やオーティスの“(Sittin' On)The Dock Of The Bay”などを書いたソングライターのひとりでもある。
そんな多忙にあっても、彼らはグループとしての録音を続け、サイケな気配も漂う“Hip Hug-Her”、ヤング・ラスカルズのカヴァー“Groovin'”、カリブ海の薫り高い“Soul-Limbo”、クリント・イーストウッド主演映画のタイトル曲“Hang 'Em High”、スタックス初にして彼ら唯一のサントラ盤からのナンバー“Time Is Tight”と、多彩な曲調のナンバーを67年~69年の間にヒットさせている。特に“Hang 'Em High”“Time Is Tight”は全米TOP10に入り、後者は全英チャートでも4位を記録する大ヒットとなった。そして71年、彼らはジャム感覚を前面に出した野心作『Melting Pot』をリリースする。何と言っても8分以上ある表題曲が素晴らしいが、結局これがスタックスにおける最後の作品になってしまった。
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