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BOOKER T. & THE M.G.'s(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年04月30日 12:00

更新: 2009年04月30日 17:55

ソース: 『bounce』 309号(2009/4/25)

文/高橋 道彦

腕利きたちの集まり

 ブッカーTとモーリスがメンフィスで活動を始めた頃、ひと回り世代が上のアル・ジャクソンJr(35年生まれ)はすでに名の知れた存在だった。彼の父親、アル・ジャクソン・シニアはメンフィスでも有数のビッグバンドのリーダーで、彼は父親のバンドに入って5歳でドラムスを叩きはじめている。まあ、マスコット的な存在だったのだろう。やがて頭角を現わしてきたアルは50年代終わりから60年代初頭にかけてウィリー・ミッチェルのバンドに参加し、MG'sのオリジナル・ベーシストとなるルイ・スタインバーグともそこで知り合った。もちろんウィリーとは、70年代にハイの責任者/プロデューサーとなってアル・グリーンを大スターに育て上げる人物だ。

 そんなアルのドラミングにいち早く注目したのがスティーヴ・クロッパー(41年生まれ、ミズーリ州南部のウィロウスプリングス出身)だった。子供の頃はカントリーに親しんだクロッパーだが、やがてゴスペルやボ・ディドリー、チャック・ベリーに夢中になり、メンフィス移住後の高校時代には学友のドナルド・ダック・ダンやパッキー・アクストンらとロイヤル・スペイズを結成する。パッキーの母親は地元でレコード店を経営するエステル・アクストンで、彼女は弟のジム・ステュワートとスタジオを所有し、店と同名のレーベル=サテライトも運営していた。そのサテライトは61年、StewartのSTとAxtonのAXにちなんでスタックスと改名される。

 スタックス発展の大きな足掛かりとなったのは、カーラ・トーマス“Gee Whiz(Look At His Eye)”の大ヒットと、マーキーズ(仏語のMarquis=侯爵に由来)へと名を変えたクロッパーらのグループだった。マーキーズの放ったダンス系のインスト・ナンバー“Last Night”(61年)がR&Bチャート2位、ポップでも3位となる大ヒットを記録したのだ。一方で、アル・ジャクソンやブッカーTはすでにカーラ・トーマス“Cause I Love You”(60年)のセッションに参加していた。この時期のアルはまだウィリー・ミッチェルのグループにも在籍していて、朝方までドラムスを叩いていた。クロッパーは、そんなアルを起こすイヤな役目もこなさなければならなかったそうだ。寝不足で不機嫌なアルは物凄く怖かったらしい。それでも、彼らにはアルのビートが必要だったのだ。

そうしてスタジオ・ミュージシャンとして集まっていた彼らが、シングルを発表することになったのはまったくの偶然、予定をすっぽかした歌手の穴埋めとしてだった。実際、彼らのデビュー・シングル“Green Onions”(62年)も、当初はB面曲として用意されていたものだ。録音の2週間ほど前にブッカーが弾いていたオルガンのリフをクロッパーが覚えていて、楽曲はそれを元に組み立てられていった。曲名はファンキーな様子を連想させる、強烈に匂うネギにちなんだもの。クロッパーの鋭角的でブルージーなギターも最高だ。グループ名は、スタックス系列のヴォルトからシングルをリリースしていたトライアンフスに倣って自動車会社名から名を取り、MG'sとなった。MGは〈Memphis Group〉の頭文字でもある。

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