BOOKER T. & THE M.G.'s
テネシー州メンフィスで生まれ育ったジャスティン・ティンバーレイクは、幼い頃、ギターを持って街をぶらぶらしていたBB・キングをよく見かけたという。アル・グリーンが住んでいたのも、彼のウチから歩いて3分ほどのところ。羨ましい限りだ。ジャスティンの時代にあっても、黒人音楽の聖地と呼ばれるビール・ストリートは、まだメンフィスで重要な位置を占めていた。もちろんメンフィスは、50年代にエルヴィス・プレスリーが颯爽と登場した土地でもある。
60年代の初め、そんな華やかな音楽都市、メンフィスの街を愛車のビュイックで颯爽と走る高校生がいた。ブッカーT・ジョーンズだ。彼のクルマによく同乗していたのが、後にアース・ウィンド&ファイアのリーダーとなるモーリス・ホワイトで、44年生まれのふたりは同じ高校に通う親友だった。モーリスも当時はまだドラマーだったが、ブッカーTも最初はオルガン奏者ではなく、トロンボーンを吹いていた。彼らは競い合うようにしてビール・ストリートにあるクラブで演奏し、ワザを磨いていったという。高校卒業後、モーリスはシカゴに向かってEW&Fを結成するが、例えば、後にモーリスがプロデュースをし、恐らくみずからドラムスを叩いていると思しきデニース・ウィリアムズの“Free”(76年)のビートは、メンフィス・ソウル(ハイ・サウンド)にかなり近く、彼のルーツが窺えるサウンドになっている。一見、ブッカーTとはまったく違う音楽性へと進んだように映るモーリスだが、ジャズやラテンも消化した音楽性の幅広さには共通点も見い出せる。
まず第一に、ブッカーT&ザ・MG'sの面々は、モータウンのファンク・ブラザーズに匹敵する、優れた適応力を持つツワモノ揃いの演奏者たちだった。キーボードのブッカーT、ギターのステーヴ・クロッパー、ベースのドナルド・ダック・ダン、そしてドラムスのアル・ジャクソンJr。彼らはスタックスのスター歌手を支える屋台骨のハウス・バンドとなり、また、グループとしても独自のヒットを生み出していく。そんな意味では、ファンク・ブラザーズ以上の実績を残しているとも言えるだろう。
- 前の記事: BOOKER T. & THE M.G.'s
- 次の記事: BOOKER T. & THE M.G.'s(2)