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特集

オレスカバンド〈BLACK SIDE〉(2)

カテゴリ : スペシャル

掲載: 2009年04月16日 15:00

更新: 2009年04月16日 18:03

文/森 朋之

10代はやりたかったこと以上のことをやれた

――19歳から20歳になる、っていうのも大きな変化だと思うんですよ。“Teenagers”はまさにそのことを歌ってますよね。

たえさん そうかもしれないですね。この歌詞は、つい最近行った小学校の同窓会がきっかけだったんですよ。ウチとサキととみで一緒に行ったんですけど、「誰? 名前、何やったっけ?」みたいなことが結構あって。

とみ みんな変わってるんですよね。女の子はキレイになってたり。

たえさん でも、話をしてるうちに思い出してくるんですよね。で、すぐに〈昨日まで一緒にいましたよ〉っていう雰囲気になって。そのときに思ったんですよね、こういう感じになれる人たちって、もう出会われへんのやろうなって。

――ティーンネイジャーではなくなったからこそ、感じることかもしれないですね。もうメンバー全員、20歳になったんですよね?

いかす ようやく(笑)。

とみ やっとなれた、っていう感じですね。自分のなかで20歳って特別やったし、早くなりたかったので。

たえさん 周りの人も同じレヴェルで見てくれるんちゃうか、っていうのもあるし。ライヴの打ち上げとかでも、飲めなかったから。

いかす 誘われても、「ウチらはチャリで帰ろか」みたいな(笑)。

――でも、10代のうちにやれることはやり切ったでしょ?

たえさん やりたかったこと以上のことをやらせてもらいましたね。

いかす 予想外のことばっかりですよ。アメリカ行ったこともそうやし。

とみ うん。

たえさん 「これから日本のみなさんに、どうやって知ってもらおう?」って考えてたら、いきなりアメリカでライヴをやれることになって。

いかす 普通はできないことをやらせてもらってる、っていうことは感じますね。すごく恵まれてると思います。

――〈ワープド〉も、まさにそうですよね。そのときも演奏してた“PAPAYA”、それからへヴィーなサウンドが印象的な“Bouqet”にもライヴの臨場感がありました。

たえさん 特に“PAPAYA”は2年くらい前からライヴでやってますからね。最初は入れるつもりはなかったんですけど、「10代最後の作品やし、残さんとこうよ」って。

いかす レコーディングも、最初は「ライヴでっせ!」くらいの感じでやってたんですよ。そしたらグレッグが「もうちょっと整えよう」って。

とみ 「もっと抑えて」って言ってたよな。

――(笑)。やっぱり、ライヴの思い出が強い曲なんですか?

とみ ノリで一気に作って、すぐライヴでやってましたからね。

いかす 曲ができたときから、確実な自信があったんですよ。「これ、みんな好きやろう」って。アメリカでやったときもいろんな人から「あの曲いいよね。音源にしないの?」って言われたし、口ずさんでくれる人もいて。それはすごく大きいですね。アメリカでライヴをやるときは、ある意味、音楽だけで勝負しなくちゃいけないし、ウチらの感覚を好きになってもらえるっていうのが一番なので。

――そうですね。“PAPAYA”って、歌詞の意味が全然ないし。

いかす そう、〈パパイヤパパイヤ〉言ってるだけ(笑)。

たえさん こんな歌詞、2度とできないと思います(笑)。ようやったわ、ホンマ。

――逆に“believe”という曲は、歌詞が素晴らしいと思いました。〈始まりは何だ?〉〈理由が無いってことは薄々気付いている〉っていう……。

たえさん まさにそうなんですよね。さっきもとみが言ったけど、バンドを始めたときは14歳くらいで、理由とか何も考えてなかったから。

いかす 「お腹すくから、食べる」っていうのと同じです(笑)。

たえさん これは元々、いかすが映画(「Lock and Roll Forever」。オレスカバンドが主演を務めたハリウッドの長編ミュージカル映画)のサントラ用に作ってた曲なんです。最初から〈believe〉っていうワードがあったんですけど、そのときは言葉の意味にリアリティーを持てなくて。何て言うか、『WAO!!』までは、そのときに思いついたことをどんどん書いていってたんですね。でも、その後は「(自分の立ち位置が)全然わからないわけでもないし、でも、これからどうなるかも想像できない」っていう前も後ろも見えない心境で。

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