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特集

The Prodigy(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2009年03月26日 11:00

更新: 2009年03月26日 18:13

ソース: 『bounce』 307号(2009/2/25)

文/佐藤 譲

駆け足で掴んだ世界的な成功

 80年代後半より爆発的な広がりを見せたレイヴ・シーンに触発されたエセックス出身の若者、リアム・ハウレットは、90年にキース・フリント、リロイ・ソーンヒル、そして後に加入するマキシムと共にプロディジーの活動を開始する。彼らは91年にXLと契約し、シングル“Charly”のスマッシュ・ヒットを経て、アルバム『Experience』をリリース。いきなりUKダンス・チャート1位(総合チャートでは12位)に輝いて注目を集めていく。特にライヴ・パフォーマンスは当初から評価が高く、リック・ルービンをはじめとする業界の目利きたちがこぞってライヴを訪れていたことからも、当時の注目度の高さは窺えるだろう。

 ところが、94年のセカンド・アルバム『Music For The Jilted Generation』において、彼らはレイヴ・サウンドから距離を置き、ダンス・ビートとオルタナティヴなロックの融合を加速させながらダークな路線へと向かうことになった。その理由を彼ら自身は次のように振り返っている。

「あの頃はレイヴ・カルチャーのレヴェルが低下したことに幻滅していたんだ。92年の終わりのことだよ。スコットランドでステージから観客のほうを見ていて、〈これは俺が夢中になったものじゃない。いま俺が見てるのはまったく違うものだ〉と思ったのを覚えてる。それで〈俺たちも同じことをただ繰り返してるだけなんじゃないか〉って感じたんだ」(リアム)。

「“Out Of Space”のPVは、ドラッグをやって音楽にのめり込むシリアスなパーティーだったレイヴ・シーンが、手袋やマスクを付けたコミカルなものになったことを笑っている内容なんだ」(キース)。

「そもそも俺たちがレイヴ・カルチャーに夢中になったのも反乱を起こすシーンだったからでさ。何人かがグループになって……」(リアム)。

「倉庫とか古いオフィスビルのドアを蹴り開けて、サウンドシステムや照明を設置して、窓から飛び降りたりして楽しんでいた。音楽にもそういった無秩序さがあってアナーキーで攻撃的だった。だからパロディー化したレイヴに、俺たちは乗らないことにしたんだよ」(キース)。

 ちなみに彼らの言う〈反乱を起こすシーン〉は“No Good(Start The Dance)”のPVで描かれているので確認していただきたい。ともかく、『Music For The Jilted Generation』は全英チャートの1位を奪取し、ダンス・アクトのアルバムとしては異例のミリオン・ヒットを記録。そして彼らは(USでは)マドンナのレーベル=マヴェリックと契約し、世界進出の準備を着々と進めていった。

 折しもUKではブリット・ポップが終焉を迎え、新しいサウンドが求められていたタイミング。かつてない期待が寄せられるなか、プロディジーは反体制のイメージをこれまで以上に強調しながら、ヒップホップやパンクの要素を強化したサード・アルバム『The Fat Of The Land』を97年にリリース。同作は22か国でNo.1を記録し、文字通り世界を制圧することになったのである。

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