サイプレス上野 × ロベルト吉野(2)
――ちょっと強引かもしれないけど、その頃の遊びの感覚がいまの2人のパフォーマンスにも繋がってるよね。2人の活動の面では、歌でも歌われている*12001年の大きなイヴェントでの失敗が転機になって、ライヴの見せ方もよりタイトになっていくわけだけど。
*1 新作『WONDER WHEEL』に収録の“NEXT EPISODE”。
上野 ちょうどエミネムが日本に来た日に「なんと今日はエミネムが来てます」って言って、吉野がお面かぶって出てくるっていう。そっからお面が導入されて。でもバトルDJのTETSUって言われてたから、吉野には葛藤がすげえあったみたいで。
吉野 名前が変わった2000年ぐらいからずーっと葛藤があったんですけど、『Homebrewers 2』が出るちょい前ぐらいに「もうロベルト吉野でいいや」って。「馬鹿々々しいや」みたいな(笑)。
上野 「仮面とか改造してんだから、いい加減、吹っ切れろよ!」ていう(笑)。
吉野 最初の仮面は、ジェイソンのマスクとエアーマスクとアイスホッケーの防具つけて、スパイダーマンのクモのフィギュアを飾ってたんですよ。それでトゲをつけて迷彩スプレー塗って、防水メガネをつけて、完全にもう、ヘルレイザー(87年公開の恐怖映画)的な(笑)。それでメタリカとかジェフ・ベック(の曲)をかけてる(笑)。
上野 あれはひどかったな。ジェフ・ベックのむせび泣くギターが響いて、そんな仮面の奴が出てくる(笑)。
――それ、十分やりきってるよ(笑)。
上野 でも、2001年7月25日に横浜Bay Hallのでっかいイヴェントに出してもらって、大失敗して心入れ替えようっていう。それまではグダグダでしたよ。
――そこを経て、いまはいろんな現場のライヴに呼ばれるようになったわけだけど、とりわけ横浜で2人を取り巻く周囲の反応はどう?
上野 いろいろなところでやらせてもらうにつれて、MACCHO(OZROSAURUS)くんと一緒に撮影したり、地元の先輩のスケーター友達だから、FIRE BALLの人ともリンクしてたり、すごい昔から知ってる若手のMARSHALL LAWとかも、「今度ダブ録らせてよ」って言ってくれるようになってきてたり。THUG FAMILYもストリート仕切ってるハスラーだけど、普通に「司会やってよ」って誘ってくれる。マネージャーみたいなことやってる奴は、OZROのライヴを一緒に見てたときに「上野くんがこうなってくれないと困るんすよ」って言ってくれた。ウェッサイも、完全に隔たりはないっすね。(DJ)FILLMOREくんとは高校のとき3年ぐらいずっと同じパーティーやってて、手本だったよね?
吉野 FILLMOREさんの2枚使いと同じネタ買って、練習とかしてましたね。
――そういう隔たりのなさは、2人だからこそってところもあると思うよ。逆に、いまZZ PRODUCTIONで活動を近くしているSTERUSSとかとはどうだったの?
上野 逆に、STERUSSとか同じようなスタイルだと思ってた奴らとは、同じイヴェントに出ててもガチガチでしたよ。誰も会話しない。鎮座DOPENESSも、カトマイラくんとかとアングラデラってグループで同じイヴェントに出てたけど、ヤバイと思っててもお互い口聞かないみたいな。ホントひどい時代。『Homebrewers 2』のときにはみんな仲良くなってたけど。
――2人はヒップホップ外の横浜のアンダーグラウンド・シーンとも縁が深いよね。PAN PACIFIC PLAYAしかり。
上野 あそこら辺がやってるイヴェントに毎回遊びに行って、意味もなくマイク握ったりしてて。UNITんとき(『ドリーム』のリリース・ライヴ)にもどうしてもいて欲しいって言ったら一回イヴェント休んでくれたりして、それぐらい仲いいし、そこで交遊が広がったんすよ。
――そうした交流もやっぱり遊びの延長、か。
上野 地元の奴らとホントに毎晩車でどっか行くみたいな。ミックステープを車で聴いて箱根とかよく行ってて。そのノリか、やっぱ?
吉野 鳥肌実を爆音で聴いたりとか。
上野 冬になったら箱根の池でスケートして、「野グソするべ」とか行って野グソとかして(笑)。それじゃあ、何がしてえんだか全然わかんないよね(笑)。
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