MURO(MICROPHONE PAGER) × サイプレス上野とロベルト吉野(2)
――ともあれ、MUROさんにはやっぱりヒップホップ全体をカルチャーとして伝えたいって意識があったんですよね? KRUSH POSSEを経て、MICROPHONE PAGERを始動したあたりを含めて。
MURO ありましたね。(DJ)KRUSHとの一番の意見の食い違いもそこが大きかった。(USのヒップホップが)あんまりにもカッコよすぎるから、そのままリアルタイムで情報なりなんなりを直輸入したいっていうのがあったし、KRUSHはその頃から自分だけの音楽をどう発見するかだったから、俺たちが(MICROPHONE PAGERで)やろうとしてることも真似にしか見えなかったと思う。
――MICROPHONE PAGERの影響力とともに、90年代中期は日本語ラップ・シーンも広がりましたね。やる側として充実感はありましたか?
MURO やっぱありましたね。客層が広がれば広がるほど、それが実感できてた時代。ヒップホップをベースに、どこまで広げられるかってところに魅力を感じてました。その頃から日本語ラップのレコードが毎月出るようなことが始まったんで、可能性が無限大で見えなかったぶん、ワクワクしてた感が人も街もあったのかなっていう。
――それから時を経ていま、当時はリスナーだった上野くんと、こうしてアーティストとして2人で話してるわけで。
上野 夢みたいですね。「Ollie」(の街角スナップのコーナー)でMURO賞はいただいたことあったんですけど。去年の夏だっけ?
MURO あー、マジで!?
上野 みんなが爆笑して写メ送ってきてくれて。なんだと思って開いてみたら1ページ目で「俺じゃん! え、MUROさん?」みたいな感じで。
MURO へぇー!! そう。それは何かあるね。そんなん好きだね、俺(笑)。あー、そう。
上野 そっから個人的なアー写がそれになったりとかして(笑)。
(ここで当時の掲載誌が登場)
MURO (上野のページを見ながら)すごい思い出したよ。選んだ、選んだ(笑)。いやー、参るね。
――逆に、上野くんの活動についてはどうですか?
MURO 頼もしいですよ。それも自分の活動が間違ってなかったっていう結果かなって。連載の対談(サイプレス上野のLEGENDオブ日本語ラップ伝説)でもPAGERのことを熱く語ってもらって。恥ずかしくて最後まで読めなかったけど。ありがとうございます。
上野 いえいえ。
MURO でもヒップホップの広げ方が違うから、楽しいよね、見てても。(上野の着てるTシャツのデザインを見て)グレート小鹿じゃない、だって(笑)。楽しみですよね。バンドにも交流を広げて、ジャンル壊してって欲しい。いまはUS(のヒップホップ)じゃなく自分を見ればよくなったから、そこはすごい楽になったのかな。スタジオのことも気にせず、リラックスして好きなときに(音源を)作れる環境にもなってきたし。
――かつてPAGERを聴いて育った世代がこうして世に出る時代に、改めて『王道楽士』をMICROPHONE PAGERとして発表する意味をどう考えてますか?
MURO やっぱりその当時をひっくるめてのエネルギーを呼び戻さないと(シーンも)深く育っていかないなっていう気分になって。そこで日本語ラップのスタンダードな部分を提示したかったし、ここを入り口にしてくれる人が一人でも多ければ、よりアクティヴに育ってくれるかなって。だから、世代もエリアも関係なくムーヴメントとして提示したかったんですよね。あと、サンプリングは打ち込みよりやっぱり情深いっすよね、グルーヴが。その消えかかってる火の力にもなれればっていう。
――そして、その『王道楽士』が、『WONDER WHEEL』と奇しくも同じリリース日っていう。
上野 最初は同じ日に出すのは「勘弁してくれよ」って話だったんですけど、その時代から聴いて育ってきて、いろんなスタイルを吸収していま提示出来たかなって気はする。PAGERのアルバムと一緒に展開してもらうのは信じられないですけど。
MURO いいね。レコード屋で違う世代が一緒の棚に並ぶっていうのはすごいいいことだと思うね。
上野 そうですよね。途中で(音楽)やめてった奴らがそれをいちばん喜んでくれるんじゃないかな。
▼MICROPHONE PAGER、サイプレス上野とロベルト吉野の作品