Britney Spears(2)
スポットライトを一身に浴びて
ご存知のようにブリトニーの輝かしいキャリアは10年前にスタートしているが、彼女にはそれ以前の歴史がある。81年にルイジアナ州ケンウッドで生まれたブリトニーは、幼い頃から芸能界に憧れて、さまざまなコンテストやオーディションを受けては優勝を繰り返していた(人気TV番組「Star Search」で勝ち抜いたことも)。10代初めでブロードウェイの舞台に立ち、11歳でディズニー・チャンネルの子供番組「The New Micky Mouse Club」のレギュラーに選ばれてからは、クリスティーナ・アギレラやジャスティン・ティンバーレイクらと共に歌やダンスや演技に磨きを掛けてきた。このディズニー出身という過去は、芸能キャリアにはプラスではあるものの、〈作り物〉というマイナス・イメージもある諸刃の剣だ。ただし、彼女はそれまでの既成のディズニー・アイドルとは大きく掛け離れていた。デビュー・シングルのプロモ・クリップではオヘソを出した制服姿で大胆に踊り、ジャケット写真ではニコリともしないアイドルらしからぬ表情で、据わった視線をこちらに投げていた。さらに米Rolling Stone誌で初表紙を飾った際には、フォトグラファーのデヴィッド・ラシャペル撮影のロリータをモチーフにした写真で、全米の大人たちを震撼させる。〈ロリータ〉と言っても、日本の女の子が年より幼く見せようとするそれではなく、その逆の、幼い少女が背伸びをして大人を誘惑しようとするロリータのことだ。以降、ブリトニーは幾度となくセクシュアリティーを玩んでいくのだけれど、それが武器であることを本能的に知っていたに違いない。さまざまな争議を巻き起こし、そのたびに人々を惹き付け、人気は加熱した。そして、全米No.1を獲得したファースト・アルバムはUSで1,400万枚、全世界で2,500万枚を超える驚異的セールスを記録したのである。
デビュー作がここまで成功すると、その次は苦戦が予想されるところだが、しかし彼女は〈またやっちゃった〉と歌って前作に劣らぬヒットでダメ押しをやってのけてしまう。そのリード・シングル“Oops!...I Did It Again”は、デビュー曲を彷彿とさせるサウンド・プロダクションを確信犯的にリサイクル。同名セカンド・アルバムは、USだけで1,000万枚、全世界で2,000万枚を超えるヒットとなった。引き続きマックス・マーティンが関わったが、ローリング・ストーンズのカヴァー“(I Can't Get No)Satisfaction”の制作にロドニー・ジャーキンスが参入するなど、すでにその後のアーバン・ポップへの接近を予感させる内容だったとも言える。この頃にはMTVの司会者が彼女を〈マドンナ以来のポップ・センセーション〉と紹介するまでになっていた。〈マドンナ以来の~〉というフレーズは、日本では頻繁に用いられる表現かも知れないが、USでは誇大広告のようでもあり、まず使われないし、使ってはならない禁じ手である。それをあえてMTVが解禁したことで、ブリトニーは正真正銘のスーパースターの称号を授かったとも言えるだろう。そんな期待に応えるかのように、2000年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは全身全霊をぶつけたパワフルなパフォーマンスを披露。保護者団体からはストリップもどきだとの非難の声も上がったが、パフォーマーとしての比類なき資質は誰の目にも明白だった。
3作目『Britney』(2001年)の頃になると、メディアを手玉に取った処世術もますますエスカレートしていく。ネプチューンズを起用したリード・シングル“I'm A Slave 4 U”では、いままでにない直接的で大胆なセックス・アピールに挑戦。MTVアワードでは大蛇を首に巻きつけたステージングでふたたび各紙のフロント・ページを飾り、恋人ジャスティン・ティンバーレイクとの仲を公表することで、アイドルのイメージを次第に払拭していった。が、その一方で処女宣言をしてみたり、ダイドがペンを執った“I'm Not A Girl, Not Yet A Woman”で〈少女でもなければ、一人前の女性でもないわ〉と歌ってみせるなど、その掴みきれない実像にメディアは翻弄され続けた。
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