ELECT-LONG TALK SESSION ~ WHAT IS ELECTRO ? 〈エレクトロの起源〉編
ダンス・ミュージック界を席巻し、ロックもヒップホップも飲み込んで膨れ上がり続ける電化音楽、エレクトロ。このムーヴメントはどのようにして列島に波及し、現在の充実したシーンを形成するに至ったのか……? その辺りを解明すべく、ライターの佐藤譲氏とタワレコ・バイヤーの青木正之氏を迎え、たっぷりと話を訊いてみました。これさえ読めば、ジャパニーズ・エレクトロのすべてがわかる!? 第1回は〈エレクトロの起源〉編!
――現在〈エレクトロ〉と呼ばれる音楽がどのように生まれてきたかというところからお話を伺えますか。
佐藤 最初は、2002年から2003年あたりで起きたアシッド・ハウス・リヴァイヴァル*1ですかね。その流れのなかでジェスパー・ダールバックや、彼とトーマス・クロームのDKとか、スウェーデンのプロデューサーがエレクトロっぽい音を採り入れていた。曲で言うとDKの“Muder Was The Bass”とか。
*1 アシッド・ハウスは初期シカゴ・ハウスの一形態で、TB-303という機材が発する〈ビヨビヨ〉した音色をフィーチャーしているのが特徴。94年頃と2002年頃の2度、リヴァイヴァルが巻き起こった。
青木 プログレッシヴ・ハウス*2にも、結構早い段階でエレクトロの質感が入り込んでましたよね。
*2 ざっくりと説明するなら、トランシーで大バコ仕様のハウスと言ったところか。フロアーでの〈鳴り〉を重視した結果、テッキーでダビーな音響を獲得し、独自の進化を遂げて来ている。
佐藤 そうですね。あと、それとほぼ同時期くらいにティガとフィッシャースプーナー、フェリックス・ダ・ハウスキャットに代表されるような、エレクトロクラッシュ*3の盛り上がりがありましたよね。そのタイミングでジゴロ・レーベル*4が再評価されたり。ティガが出した『DJ Kicks』は、エレクトロクラッシュのDJミックスとしては先駆け的な作品でしたよね。なんかジャケット写真はGacktみたいなんですけど(笑)。
*3 2000年代初頭のダンス・ミュージック界に巻き起こった、ニューウェイヴ~エレ・ポップ・リヴァイヴァル的なムーヴメント。
*4 DJヘルが主宰するドイツのテクノ・レーベル。ニューウェイヴをダンス文脈で再解釈したサウンドをいち早く提示し、前述したエレクトロクラッシュ・ムーヴメントを代表するレーベルとなった。
青木 エレクトロクラッシュとアシッド・リヴァイヴァルがくっついて生まれた感じはありますね。
佐藤 そうですね。その流れにプログレッシヴ・ハウス寄りの人たちも乗っかって、いまのタフでビッキン・ビッキンなエレクトロが出来上がったのかなと。
――エレクトロクラッシュはかなり大きなムーヴメントでしたし、そこからエレクトロに至る流れは見出しやすいですよね。
佐藤 そうですね。それから、決定打はやっぱりオルター・イーゴの“Rocker”だったんじゃないですかね。あの曲に、ロッキンでパンクな、いまのエレクトロの原形があるんじゃないですか。
――〈エレクトロ〉って言葉は、昔から色んな文脈で使われてきましたよね。いまの意味合いで使われ始めたのって、どの辺からなんでしょうか?
青木 最初は〈エレクトロ・ハウス〉って言い方でしたよね。
佐藤 そうですね。エレクトロクラッシュ→アシッド・ハウス・リヴァイヴァル→エレクトロ・ハウスみたいな流れだったのかな。そこにダフト・パンクのアルバム『Human After All』が登場して、一気にエレクトロというものが盛り上がっていったんじゃないかと。だから『Human After All』って、いま聴くと良いんですよ。
青木 確かに、いま聴いたほうが良い(笑)。でも、あのアルバムってリリース当時は結構否定されてましたよね。
佐藤 そうですね。音楽誌ではもう賛否両論って感じでした。結果からすればダフト・パンクは常に早かったと(笑)。二歩半くらい先を行ってますよね。
――『Human After All』は、いまのエレクトロの音に、そのまま当てはめられるかもしれませんね。
佐藤 そうですね。“Robot Rock”とか“The brainwasher”とかかなりそのまんまだと思います。
青木 『Human After All』のリミックス盤も凄かった。オルター・イーゴ、ジャスティス、デジタリズムなんかが参加していて、やっぱり早い。
佐藤 だから、やっぱりあれが雛形だと思いますよ。タテノリで、音がドシャメシャと荒れてて、コンプレッサー効きまくり、ギターがギャンギャン……みたいな。あと“Prime Time Of Your Life”をパラ・ワンが、“The Brainwasher”をエロール・アルカンがリミックスしていて、いま思うと、ダフト・パンクをリミックスしていくことでいまのロックなエレクトロが形成されたって言い方もできるのかもしれないですね。
――リアルタイムでは否定された作品だったけど、実はあのアルバムからの影響っていうのは相当大きかったと。
佐藤 僕は当時絶賛していたとここで言わせて下さい(笑)。で、影響は大きいですよね。だって結果的にカニエ(・ウェスト)さんまでサンプリングしてたわけですから。どんだけ影響あるんだって話ですよね(笑)。
青木 あと、2メニーDJ'sに代表されるようなマッシュアップ*5の文脈っていうのもエレクトロには大きく絡んでますよね。エレクトロクラッシュのなかにも、マッシュアップでヒットしたものが結構あったし。
*5 既成の複数の楽曲を一つに融合してしまう手法。
佐藤 そうですね。ティガの『Sexor』でもソウルワックスとジェスパー・ダールバックが共同プロデュースを手がけてましたし。テクノ版のグランジみたいなキャッチで注目を浴びたヴィタリックも、2メニーDJ'sがミックスCDで表現してたことを、オリジナルで出してきたって感じでしたし。
青木 ソウルワックスも、2メニーDJ's名義で人気が出る前は売れてなかったですよね。
佐藤 そうそう。ソウルワックスが〈SUMMER SONIC 01〉に出たけど寂しい盛り上がりだったのを当時観てましたね~(笑)。当時はストーン・ローゼズ+シャーラタンズみたいな感じの音で。で、その後に2メニーDJ'sのミックスCD『Radio Soulwax』シリーズがドカーンと売れて……。
青木 マッシュアップを世に知らしめた。そこから名が知られるようになって、ソウルワックスというバンドも存在するんだっていう認知が。
佐藤 「バンドの方が先なんだよ!」という(笑)。
青木 でも結果的には良かったですよね。
佐藤 そうですよね。あれでイギリスで苦戦してたソウルワックスも認知されたし、音もエレクトロ化していった。ダフト・パンクの『Human After All』とソウルワックスの『Any Minute Now』と『Nite Version』が〈ど・エレクトロ〉なアルバムとして挙げられるんじゃないですかね。2004年から2005年くらい。
――エレクトロの雛形を挙げるならその辺りでしょうか。
佐藤 あと、ロック方面からディスコ・パンクも出てきていたじゃないですか。そういう風に、色んな方向から同時に似たような音が出てきて形成されていったのがエレクトロなんでしょうね。それが一番明快なかたちになったのが、さっき言ったダフト・パンク『Human After All』、ソウルワックス『Any Minute Now』『Nite Version』、オルター・イーゴ“Rocker”が収録されている『Transphormer』辺りってことですかね。あとフェリックス・ダ・ハウスキャット『Devin Dazzle & The Neon Fever』は、タイトルから考えるとニューレイヴの走りだったりするのかも。
青木 その辺はジャンルに関係なく、色んなところで盛り上がってたものですよね。〈WIRE〉でもかかってるし、ロックが好きな人でも、オルター・イーゴを聴いてたかもしれないし。
佐藤 “Rocker”のへヴィー・メタル版リミックス(Earl Shilton Remix)は最高でしたよね。ツイン・ドラムがドカドカいってて痛快(笑)。というか、エレクトロってへヴィー・メタルですよね? タテノリっていうか。
青木 そうですね。ハード・ロック~パンク的でもあり。要するに若い人向けの音楽。だから広まったし、いまだに人気が続いてるということなんでしょうね。特に日本だと、ロックと接点がないと売れないし。
佐藤 日本だと、ロックと繋がるまでは『Human After All』も『Any Minute Now』もいまいち盛り上がらずでしたもんね。
――アンダーワールドが日本でブレイクしたのは、ロックとの結びつきが上手くいったということなんでしょうね。
佐藤 僕の中ではアンダーワールドの方がむしろテクノ的なんですけどねえ。それなのに受けたのは……多分暗いからですよ! いや、これは、マジで大事なんじゃないかなぁ(笑)。日本はメロウで暗い方がなんかロックとして受け入れられやすいっていうか。
――それはありますよね。単なるパーティー・ミュージックだと軽視されがちというか。
佐藤 でも、日本でも若い子がそれこそアメリカ人みたいに凄くオープンなノリになってきていて、パーティー音楽がここにきて確実に浸透してきてますよね。それはすごく良いんじゃないかと思うし、エレクトロ人気の要因にもなってると思うんですよ(続く)。
◆次回は11月13日(木)に掲載いたします!